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学会発表について、何度も書いているのだが、
どうもどえらいことをやっているように誤解されているような気がする。 これね、全然大した話じゃないんです。 前に書いたように、 この「ザ・政治学会」ってのは誰でも簡単に入れる。 (6月19日日記「学会入会」) 推薦人もいらないし、研究機関に所属している必要もない。 政治学に関心があって、その発展に貢献したいなら誰でも会員になれる。 たかだか9000円払えば、あなたも今日から学会員だ。 その上、この学会発表。 「やりたいです!」ってメールしたら、 「はい、どうぞ」って返事がきて、 はあ?ほんとにやっちゃっていいの?? ってな話だったんだから。 (10月23日日記「ザ・政治学協会での学会発表」) 私は「やる?」って話があったら 常にほぼ即答で「やります!」って気軽に申し出る。 やったら恥をかくかもしれないのだけれど、 たかだか1時間程度さらし者になるだけでしょ。 どうせ終わったら私のことなんか誰も覚えてやしない。 そしたら私は後でちゃっかり履歴書に 「大業績!」 として書くのだから。 いやあ、ラッキーだなあってことです。(笑) それだけの話。 でも、まじめな話、 こういう、のーてんきに軽い調子で、 そしてほんの少しだけ勇気を持って行動するって 大事なことだと私は思っています。 ------------------------------------------------------- さて、本題。 外国の友達とすれ違って、挨拶をする時、 友達は「はーい!かみぽこ!!」 と、必ず挨拶の後に私の名前も言ってくれる。 私は時々これができないで、 「はーい!」 だけで終わってしまうのだけど、 これは悪いところだなあ、といつも反省している。。。。 いつものように芸術会館のカフェでコーヒーを飲んでいると、 今日は、以前「かみぽこ異人交遊録」で紹介した 日本好きな韓国のおばさんがアルバイトをしていた。 (9月1日日記「韓国のおばさんと伊勢崎町ブルース」) その彼女の名前はジェイミーというのだけれど、 (たぶん本名は、このジェイミーと似た発音なのだと思う) 彼女はとても日本びいきで、 彼女に頼まれて、 私は以前「青江三奈」のCDを購入してあげたことがある。 彼女は今日、仕事の合間に私の席に来て 「あのCD、すごくいいわ。毎日聴いてるのよ。ほほほ」 と言った。 ちゃらっちゃちゃららららっららん♪ ああーん、ああーん ご存知「伊勢崎町ブルース」をお気に入りらしいのだ? 彼女にはうちの学校に通う娘さんがいるのだが、 どうもこの曲を毎日聴いている母親の姿にあきれてるらしい。。。 え?間違った日本を教えるなって?? ごもっとも。 と思って、私は今日彼女に持ちかけた。 「あのね。『チハル・マツヤマ』という、 すばらしく美しい高音を持つ日本の男性シンガーがいるのだけれど、 彼の聴いてみる?」 「まあ、それはぜひ聴きたいわあ。」 「じゃあ、カセットに編集して持ってくるね」 ということで、ジェイミーは、 なかば無理やり「松山千春」を聴かされるはめになってしまった。 え?ますます間違った日本を教えるなって?? そんなことはないよ。 これまで少なくとも英国人、スペイン人、イタリア人は 私から千春さんの曲を聴かされて、 歌詞もわからないのに非常に感動してたよ。 私は自信がある。 ジェイミーも絶対に感動すると思う。 ということで、家に帰ってさっそく60分テープに編集作業。 選曲もばっちり。 韓国の方だから、やっぱりキム・ヨンジャとかああいう 激しく魂を揺さぶるような曲が好きだろうと思い、 以下の選曲になった。 A面 1.恋 2.私を見つめて 3.もう一度 4.ひとりじめ 5.燃える日々 6.純 B面 1.いつのまにか 2.最後の涙 3.雪化粧 4.さよなら 5.宇宙のはるか この選曲、自信あるよ。 いやあ、すばらしい民間国際交流だねえ。 うんうん。(自己満足) あ、著作権がどうとかやぼなこと言わないでよ。 英国に住む韓国人の方が松山千春なんて 買える訳ないんだから。 このジェイミー。 前回も書いたのだけど、 お母さんはなんと昭和天皇の皇后陛下の大ファンで、 本人も子供の頃から大の日本びいき。 ちなみに娘さんも「宇多田」「浜崎」「倉木「BOA」の大ファンだとか。 おっと「BOA」は日本人じゃないんだっけ。 でも日本語のCD持ってるらしいよ。 韓国でもこういう方々は 個人レベルではいくらでもいらっしゃるんだろうね。 今でこそ、私はそんなの当たり前と思うけど 最初正直この親子、私にはものすごい違和感があったのであります。 韓国人はみんな日本が嫌いなのだろうと最初思い込んでいたのです。 今日の本題の最初に書いた、 「個人名」で呼び合うことがなぜ大切と 私が思うかの理由はここにある。 最初に国籍や まあ、そうでなくても顔つきや肌の色で人を判断してしまうと、 どうしてもその国や民族に対する先入観というものが入ってしまう。 なにか壁のようなものがお互いの間にできるような気がする。 まず個人名を呼び合い、個人対個人で付き合うことで 国籍や民族を超えた付き合いの一歩目を踏み出せるような気がするのです。 難しいですけどね。 今日は自己満足みたいな例で話をして、 すみませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年03月30日 22時22分14秒
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