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イングランド代表主将・デービッド・ベッカムが
英国のマスコミから激しく批判されているようだ。 今日のガーディアン紙にも載っていたが、曰く 「たとえへスキーのファールによるジダンのフリーキックで 同点にされたのは仕方ないとしても、 その後の90秒間、チームはパニックになった。 その間、チームに必要なリーダーシップは存在しなかった。 更に、ベッカムは自身がPKを失敗した後、落ち込んでいる姿を見せた。 チームを最善の方向に導こうとするリーダーシップはなかった。 この男はチームを率いるのに正しい男か?」 要約すると、こんな感じ。 厳しい。実に手厳しい。 実際にミスを犯したへスキーやジェラードを責めるより、 ベッカムの責任を問う評論が多い。 それも、ベッカムのPKのミスを責めるものはほとんどない。 彼のリーダーシップの欠如に関する責任を問うものばかりだ。 日本とちょっと違う感じがしないか? サッカーの日本代表主将がゲームの結果に対して これほど責任を問われることがあるだろうか。 例えば、日本の長年の懸案であるFWの得点力不足に対して、 中田英寿や宮本恒靖がFWを鼓舞できなかったのに責任がある なんて言われることはないだろう。 イングランド代表主将の責任とはなにか? 。。。。とここまでは今日の文章の前置きである。 本当に書きたいことはここから。 急に話が変わって申し訳ないのだけれど、 佐世保の女子小学生による女子小学生の殺害という 実に痛ましい事件が起きた。 それに関して、 やれホラー映画やバトルロワイヤルの影響がどうの、 親の教育や家庭の事情がどうの、 原因探しやスケープゴート探しや ましてや、報道の自由だ(?)という 狂ったとしか言いようのない考え違いによる 暴露ばかりインターネット経由して 私の目に入ってきた。 しかし、 「人を傷つけてはいけない」 ということを、 子供に向かって正面から訴えたものを ほとんど目にすることがなかった。 ここで、冒頭のベッカムの話と結び付けたいのだが、 イングランド代表主将・ベッカムなら、 この事件が起きたとき、 即座に子供たちに対してメッセージを出すと思うのだ。 「人を傷つけてはいけない」 と。 イングランド代表主将・ベッカムは、 なにか社会的に深刻な事態が起きたとき、 これまでも即座にメッセージを出してきた。 例えば、サッカー場で民族差別の問題が起きれば、 「民族差別はいけないことだ。やめよう!」 とTV画面に現れ、サッカーファンに対して訴えた。 子供の誘拐があったときも、 「こんなことがあってはならない」 とTV画面に出てきた。 マドリードのテロに関しても、 即座に市民に励ましのメッセージを出していた。 いつも極めてシンプルな言葉なのだけど、 こういう社会的なメッセージを 彼は必ず出してきた。 私は、ベッカムという人物が、 何か高尚な考えを持って こういうことをやっていると 言いたいわけではない。 ご存知の通り、ベッカムという人は どちらかというと頭が悪いと言われており(苦笑)、 言っていることも、極めてボキャ貧で 非常に強いロンドン労働者階級なまり。。。(再び苦笑) あんまり難しいことは考えてないと思う。 想像なのだけど、彼が社会的メッセージを出すのは 「イングランド代表主将の責任とは、そういうもの」 とシンプルに思って、 素直にそれを実行しているだけのように思う。 つまり、ベッカム個人のなにがしかの考えを持って メッセージを出しているというより、 英国社会がイングランド代表主将に求める社会的責任が、 彼にそうさせているように思うのである。 私が4年間、英国社会に入って生活してみた印象なのだけどね。 翻って、日本のスポーツマンを見てみる。 サッカー日本代表主将・中田英寿のHPを訪問してみた。 佐世保の事件が起きた頃、彼はバカンスの事を書いていた。 事件については一言も触れていない。 一度彼のHPを訪問してみるといいです。 非常にベッカムと対極的な考えに基づく文章が書いてあります。(苦笑) 残念なことに。。。 その他のスポーツマンについてもいくつか見てみたけど、 この事件について、 「人を傷つけてはいけない」 と子供に呼びかけるメッセージを出した人はどうもいないようだ。 なぜ日本のスポーツマンからメッセージが子供たちに対して出ないのか。 かつて、有森裕子がオリンピックでメダルを取ったときこう言った。 「自分をほめてあげたい」 これは、どちらかというと、 国の誇りとか、国民の期待とかいうもののプレッシャーに影響されず、 自分の力を出しきったというニュアンスのある言葉だったと思う。 先の中田などまさにそうなのだが、 日本のスポーツマンというのは、 個人主義であることを理由に 周囲の影響から逃げようとする傾向がある。 日本のスポーツマンは、 社会的責任というものからは 逃れようとする傾向があり、 それを「個人主義」で いい事なのだとしている。 だから社会的メッセージなど出さないわけだ。 しかし、それははっきり言って次元が低い。 ベッカムのように、 社会が求める期待や責任から逃れようとせず、 それを全身で受け止めて、 なおかつベストのパフォーマンスを見せる。 日本のスポーツマンもその次元まで到達してほしい。 私は、こういう子供の痛ましい事件がどうしたらなくなるかなんて、 とても論じることはできないのだけど、 少なくとも子供たちの健全な成長を促す1つの方法として、 スポーツ選手が子供たちに語りかけることの効果はないとは言えないと思う。 子供たちは親や先生のだらしない姿をみて、 とても尊敬できないと思っているかもしれないけど、 スポーツ選手の言うことなら、 まだ少しは聞いてみようと思うかもしれないじゃないか。 もう一度言う。 スポーツ選手は子供たちに呼びかけてほしい。 「みんな、人を傷つけてはいけない」 とね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年06月17日 21時29分41秒
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