|
カテゴリ:カテゴリ未分類
社会保険庁の新しい長官が決まったらしい。
民間人の登用だという。 小泉首相曰く、 「たくさんの保険加入者のいる損害保険会社で、サービスの向 上や効率的な経営に常に新しい発想でとり組んでこられた大変なやり手と聞 いています。よい人が受けてくれたと思っています。 昨日官邸でお会いして、『必要な人材は何人でも民間から引っ張ってきて 下さい。思い切ってやって欲しい。』とお願いしました。」 (小泉内閣メールマガジン第147号より) よい人が引き受けてくれたということであれば結構なことだが、 1つ気になるのは、小泉首相が 『必要な人材は何人でも民間から』 と、民間からの人材登用であることを強調している点である。 参院選もいよいよ大詰めのこの時期の社会保険庁新長官の発表。 有権者へのアピールであることは間違いないだろう。 そのアピールで強く強調される「民間人の登用」。 「官僚より民間人を使ったほうがうまくいく」 というのは、1990年代以降、 いろんなところで言われてきていることだ。 いわゆる、 「脱官僚論」。 今回の参院選でもいろんな候補者が訴えているようだ。 今日はこの「脱官僚論」について考えてみたいと思う。 最初にこの「脱官僚論」というものを私なりに簡単にまとめておく。 要するに、日本社会では霞ヶ関の中央官庁が非常に強い影響力を持っている。 各省庁はそれぞれが管轄する業界を許認可権と行政指導、 そして役人が企業の経営者に天下ることによって支配している。 政界との関係においては、国会に提出されるほぼ全ての法案は、 官僚により作成されたものである。 国会議員は政策立案のスタッフを十分に持たないため、 法案作成の作業を官僚に依存しているからである。 政府で行政改革が検討される時、 官僚は自らの権限を失うことになるので激しく抵抗する。 官僚は国益よりも、自らの権限を死守することばかりを考える。 しかし、政治家はそれに対して対抗する能力もスタッフも持たない。 その結果、日本社会の将来に必要な改革は先送りされるばかりである。 これではいけない。 官僚支配、官僚依存を脱して 政治主導、あるいは民主導の社会を作らないといけない。 要は改革がうまくいかないのは官僚が悪いんだと。 だから官僚を排除しろと。 そして、民間の力を生かせと。 民間の知恵を集めれば、もっといいものができるのだからと。 「脱官僚論」とは簡単に言うとこういうだろうか。 なるほどね。民間に任せればうまくいくと。 この「脱官僚論」を考えるに当たって、 最初にこのことを指摘したいと思う。それは、 「日本のキャリア官僚の選抜制度というのは、 エリートの選抜制度としては、 おそらく世界で一番公平な制度であろう」 ということである。 どういうことかを具体的に説明したい。 日本で高級官僚になるには、以下のコースを辿るのが一般的だろう。 「小・中学校(義務教育)→高等学校→東京大学法学部→国家公務員一種試験合格」 これ以外の道ももちろんあるが、 キャリア官僚になるには これが一番普通のコースであろう。 まあ、この選抜制度自体は世界的に見て珍しいわけではない。 先進国は大体どこも同じような制度でエリートを選抜しているだろう。 私が注目したいことは 日本では、このキャリア官僚への道を 「誰でも知っている」ということだ。 「東京大学に行くこと、 その後難しい試験を受けて 役人になること」 が1つの立身出世の道であることは、 明治時代の昔から、 ほぼ誰でも知っているのである。 日本にはいろんな職業についている人がいるし、 裕福な暮らしをしている人から、 ささやかな暮らしをしている人まで いろんな人がいるけれども、 この誰もが、このことを知っているのである。 そんなの当たり前じゃないかと言うなかれ。 それが当たり前なのは世界中で日本ぐらいなのだ。 例えば、イギリスやフランスなどの先進国であっても、 こういうエリート選抜制度があることを 誰でも知っているわけではないのだ。 イギリスなどの社会には、 貧富の差というものが存在し、 階級というものが社会に厳然と存在する。 この階級の中で、 いわゆる階級が低いとされている 「労働者階級」の人たちは、 「勉強をして試験を受けたら役人になれる」 ということ自体を知らなかったりするのである。 私の友人に経済学の博士課程(PhD)に在籍する英国人がいて、 彼はバリバリの労働者階級出身だ。 その彼がかつて私にこう言った。 「俺はこれまで親に学費というもんを出してもらったことがない。 全部奨学金でやってきた。成績がよかったからね。 でもな、悲しいもんだぜ。 俺の親も、家族も、周りの友達も大学って何か知らないんだ。 PhDがどういうもんか全く知らないんだ。 俺は田舎に帰ったら親に説教される。 『子供たち(4人兄弟)でまだ働いてないのはお前だけだ。』 友人にはばかにされる。 『お前だけまだ働いてない』 とね。 俺が大学に行けたのは、たまたま成績がよかったから 学校の先生に大学に行って勉強しろと薦められたからだ。 成績がよくなかったら、一生大学ってものの存在を 知ることはなかっただろうな。」 つまり、イギリスなどの社会では階級が違うと 大学に行くにはどうしたらいいか いや、大学って何なのか自体知らなかったりするというのである。 これでは、いくら選抜制度自体がオープンで 公平であったとしても、 階級によって得られる情報量の格差が大きすぎて、 貧しい人たちがその試験を受けるところまでたどり着くのは 極めて困難だということになる。 イギリスのような先進国でさえこの有様なのだから、 貧富の差が激しく、 すさまじいコネ社会である 発展途上国は推して知るべしであろう。 日本のように階級差がなく、 貧富の差が比較的少なく、 情報が公平にいきわたり、 結果誰にでも立身出世の可能性がある社会は 世界的に見ると極めて珍しいということである。 「東京大学に行くこと、 その後難しい試験を受けて役人になること が立身出世の1つの道だと 誰でも知っている」 ことは当たり前ではないのだ。つまり、 「選抜制度についての情報が国民全体に広く知られていて、誰にでもチャンスがある」 と言う点において、 「日本のキャリア官僚の選抜制度というのは、 エリートの選抜制度としては、 おそらく世界で一番公平な制度であろう」 という印象を私は持っているのである。 それで、「脱官僚論」に戻るのだが、 「世界で一番公平な試験」 で選ばれた官僚なのだから、 一定の評価を与えてもいいのじゃないかと思う。 私がこの「脱官僚論」を唱える候補者たちが言っていることを読んでいて 今一つよくわからないのは、 なぜ官僚ではだめなのかという理由を 論理的に説明できていないことである。 向こうは世界一公平な試験をクリアしたのだ、 政策くらい作らせてやってもいいでしょう、 と私は率直に思う。 官僚は選挙の洗礼を受けないから勝手なことをやる? いやいや、そのために政治家によるチェック機能というものがある。 これまでだって、力のある政治家が閣僚になったり それ相応の役職に着いたときは、 官僚をちゃんとコントロールしてきた。 要は政治家の問題であって、 官僚制や政治制度そのものの問題ではない、 と私は思う。 この私の考えに対して、 明快に反論してくれる人に 私はこれまでお目に掛かったことがない。 なんとなく漠然と思うんだけど、 この「脱官僚論」を唱える人たちって、 自分が官僚になれなかったことに対しての 嫉妬心から言っているような気がする。 「本当は俺のほうが優秀なはず、 なのに官僚が偉そうな顔をするのは許せない。」 俺のほうが、俺のほうが。。。。 まあ、確かに官僚にもいろんな問題があるとは 私も思います。 しかし、官僚=悪と短絡的に考える前に、 一度でいいから、彼らは 「世界で一番公平な選抜制度によって選ばれた人たち」 であることも考えてみてほしいなあと思います。 それでは、また。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年07月08日 22時33分31秒
|