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さて、「かみぽこ政治学」です。
掲示版に、 「民主党・岡田克也代表について 論じてください」 と書き込みがあったので、正直 あっちゃ~、 と思った。(苦笑) なんでかって言うとね、 岡田さんって書きづらいのだ。 つまり、なんていうか、 ウォッチする対象として、 特徴がないというか、 退屈というかね。。。(苦笑) 頼まれたはいいものの、 どこから書いたらいいのか、 結構いろいろ考えた。 考えに考えたあげくだが、 今日はこんな話を書いてみたい。 ある元キャリア官僚で今は退官して 民主党の関係者になっている人が (多分国会議員を目指してらっしゃる) 本を書いていらっしゃる。 本来、こういう場合は敬意を表して 「参考文献」として エントリーの最後に明記するんだけど、 あまりにもすばらしい内容の本なので、 敬意を表してあえて匿名と致します。(笑) で、その人が こんなような意味のことを 著書に書いている。 「官僚出身と弁護士出身の多い民主党は 日本の政治史上初めて 自分で政策を作れる政党なのだ」 そうですか。。。(苦笑) この官僚OBの言われる 「自分で政策を作れる」 の意味がよくわからないのだけど、 多分意味するところは、 「官僚に頼らないで 法律の条文が書ける」 ということなのだろうと思う。 更にご丁寧にこの方は、 「これはすごいことなのだ。」 と付け加えているのだけれどもね。(爆笑) 以前私は「脱官僚論を考える」という エントリーを書いたのだけれども、 ここで書いたことは、 日本の官僚というのは 世界的に見ても他に例がないほど 公正な選抜試験によって 採用されているということ。 どう公正な試験なのかは ここでは繰り返さないので、 「脱官僚論を考える」の方を 読んでもらいたいと思います。 ただ、ここで言いたかったことは、 世の中に「官僚政治打破」を 訴える人は多いけれど、 お金がなくても、コネがなくても、 努力すれば誰でも受験できる試験を フェアに突破した人たちなのだから、 政策くらい作らせてあげても いいじゃないかということ。 この官僚を政策過程から排除する 「脱官僚」だという主張をする人は 民主党に結構いるのだけれども、 こういうフェアな試験を突破した人たちを排除して なぜに自分たちが政策を作ったほうがいいというのか、 論理的に説明してくれる人がどれくらいいるだろう。 先に紹介した元キャリア官僚の民主党の人が言うように、 民主党は確かに官僚・弁護士出身の議員や公認候補が多い。 ついでに言えば、市民運動出身みたいな人も多いわけだが、 彼らの「脱官僚」というのはこの元キャリア官僚のように、 政策を自分でパソコンたたいて書けるかどうかを 官僚と競うことだと考えている人が多いように思うのだ。 マニフェストとかで発表された政策をみると、 数字とかスケジュールとか非常に細部にこだわっているし、 それが政策担当能力だと考えているようだしね。 だけど、私のつたない政治の現場での経験も含めて言えば、 この民主党の人に多い考え方ってのは、 「官僚に対する嫉妬心」 から来るものだと思うんだよね。 官僚出身の人に関してまず言えることは 将来役所で事務次官になれそうだったら、 辞めて議員になろうなんて思わないということ。 役所に残っている同期などに対して 「なんで俺よりあいつが優秀だと 評価されていたんだ。 俺のほうが本当は賢いのに。」 というような、 ある種の嫉妬心があるような気がする。 弁護士出身の人に関しては、 自分が司法試験を合格しているのに 国家公務員一種試験に合格した官僚の方が 政策立案の中心にいることに対して、 嫉妬心があるような感じがする。 市民運動出身の人などは、 学歴そのものに嫉妬心があったりしてね。(苦笑) 多分、政治に詳しい皆さんは、 何人かの民主党の議員さんが パッと頭に浮かんだと思うけれども。(笑) まあ、人のことを批判するだけじゃなくてね、 自分自身がかつて政治をやりたいと考えた時も、 こういう嫉妬心というのが大きな部分を占めていたことを 正直言って否定できないことは、 「英国留学回想録」の最初の部分で書いている。 私の場合は官僚に対する嫉妬心ではなく、 たこちゅーで不遇だったことに対して、 「なんで俺が出世できない部門に配属される ひどい扱いを受けなきゃいけないんだ」 と思っていたわけで、政治家になって見返してやろうと、 今思えば悲しいくらい情けない考えがあったわけだ。 ああ、情けない。。。(涙) まあ私はそういう自分の愚かさに その後気づいたわけであるので もう政治家になろうとか思うことはないのだけど、 要するに、民主党には 「本当は自分の方が優秀なはずなのに」 そうではない東大法学部卒、 国家公務員一種試験を合格した人間が 評価を受けている社会に対する嫉妬心から そういう社会はおかしい、変えるべきだとして 行動している人が多いような気がする。 まあ、そういう社会を 変えるべきなのかどうかは 今日論じることではない。(苦笑) ただ、ここで1つ考えないといけないことは、 民主党の方々ががんばっている 「政策を書く能力」を 官僚に負けないように磨くことは、 政治家として大事なことなのかどうかと いうことだ。 私は常々考えていて、 「かみぽこ政治学」でも 書いてきたことがあるのだけど、 世の中で政治家ってものが 必要とされる場面って、究極的には 「間違ったことを決めることで 世の中を丸く治めるとき」 だと思うんだよね。 具体的に言うと、 例えば、経済学や財政学に通じた 官僚や学者が作成した 「経済合理性」に基づく政策が そのまま何の問題もなく実現されるならば、 政治家はいらんわけだ。 官僚が法律の原案を作って、 審議会で学者の意見を付け加えて、 そのまま法律とすればいいわけだから。 もう見事なまでに、 アメリカのハーバード大学あたりの 偉いさんの先生に絶賛されるような 法律が出来上がるだろう。 わー、はくしゅー! ぱちぱちぱちぱち!! と、言いたいところなのだけど、 皆さんよくご存知の通りだけど、 現実の世の中では 物事そんなに簡単にいかないわけだ。 小泉さんのかつての口癖だけど、 「改革は痛みをともなう」 ということであって、 「経済合理性」だけで政策を決めたりしたら、 みんなが得をするのではなくて、 損をする人も出てくる。 今風の言い方だと 「勝ち組」と「負け組」ということなのだけど、 問題なのは往々にして 「勝ち組」より「負け組」のほうが 圧倒的に数が多くなってしまうことだろう。 六本木のほんの一角にヒルズ族がいる反面、 街の至る所に失業者、ホームレス、ニートが溢れ、 自殺者がどんどん出ると。。。 それでは世の中に怒りが充満してしまって、 うまく治まらない。 政治家というものは、 こういう場面に必要とされるのだ。 政治家の人たちが話し合って、 世の中のいろんな「負け組」の人に都合がいいことを ちょこっとだけ法律に付け加えることで、 言い方を変えれば、いわゆる「妥協」をすることで、 世の中の多くの人が、 「まあ、これなら仕方ないかな」 と怒りの矛先を収めて 世の中がなんとなく うまく回っていくようにする。 そのために政治家ってのは 必要なんじゃないだろうか。 しかし、この 「世の中がうまくいくために、 法律にちょこっと付け加える」 というのは、 「法律の中身が経済合理性から離れていく」 ということに他ならないわけである。 これは大学院レベルで経済学などを学んでいる 官僚や学者からすれば、 「間違っている」 ということに他ならないわけであって、 要するに、政治家というものは 「間違っていることをあえて決める」 ために存在しているのだ。つまり、 「お馬鹿なことを決めることで世の中をうまく回す」 というのが究極的な 政治家の存在意義なのである。(苦笑) だから、政治家は官僚と 「法律の書き方が上手かどうか」で 賢さを競う必要はないのである。 もちろん政治家が馬鹿でいいというわけではない。 政策を深く勉強することは必要だ。 しかし、官僚に負けないくらい経済学に通じて、 その上であえてそれを曲げて馬鹿なことを決められる、 人間的な度量の大きさというかね、 官僚より一段上の次元に立つというかね、 そういうものが必要ということだ。 その辺が民主党はわかってない気がするね。 その象徴が、官僚出身政治家・岡田克也さんのような気が 私はするんだけどね。 岡田民主党は、 官僚に対する嫉妬心を捨てなければならない。 官僚に対して 「俺たちのほうが本当は賢いんだ。」 と対抗してもあまり意味はないし、 もっと厳しいことを言えば、 「自分の優秀さが認められる社会にする」 という発想を原点として政治をやることは、 ある意味、危険極まりないとも言える。 日本はどこかの独裁国家のような エリート官僚は全部コネということはない。 世界に冠たるフェアな試験で 官僚は選抜されているわけであって、 それを理由もなく排除しようというほうが フェアじゃない。 政治家は官僚と ペーパーテストの秀才かどうかを競うんじゃなく、 別な次元で勝負するものだ。 岡田民主党は、むしろ官僚に対して、 「どうだ君たち。こんなお馬鹿なことは 君たちのような秀才には決められないだろう」 と笑い飛ばせるようになったら、 政権を取れるんじゃないかなと 私は思うね。 ただ、そういうことは政権を取って 初めて気づけることかもしれないしね。 難しいもんだね。 それでは、また。
最終更新日
2005年08月28日 15時30分49秒
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