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さて、「トリノ五輪」も後半戦だね。
今回の五輪はBritish Eurosportsの 実に良質な実況と解説のおかげで すごく楽しめている。 こんな観ていて楽しい五輪は初めてだ。(笑) その理由は五輪が終わってから 総括として書きたいのだけど、 まあ、五輪自体が何か 変わったわけではなく、 変わったところはせいぜい いかにもイタリア的な運営に 苦笑するくらいなもので、 やっぱり繰り返すが、これは British Eurosportsのおかげだね。 それは何より、 このフェアな実況のおかげで、 日本を客観視することが できるからだろう。 そして客観視できることで 全ての国の選手の 勝者、あるいは敗者としての 人生の味というものを 感じることができるからだろう。 それ以上は、また後日ね。。。(笑) ということで、 今日はスポーツに関連して こんなことを書いてみたい。 私と五輪の縁は 実は意外に薄くない。 私は中学で野球 高校で陸上中距離と 種目を変えながらも ずっとスポーツをやっていて、 大学ではさすがに 陸上部(競争部と言ったけど)だと セミプロみたいなレベルで とてもじゃないけど ついていけないので、 同じ体育会でも 大学から始められる競技を 探して入部した。 まあ、あるマイナーな 個人競技のスポーツだったけど、 4年に1回注目されたりする。 それは五輪でたまに メダル獲ったりするからね。 まあ、大学から始められるとしても、 他大学には高校からやっている 有力選手もいたし、 自分の大学には 高校からやっている選手は いなかったけれども、 センスのいい人はいた。 自分はとても その競技のトップレベルに なれそうもなく、 そもそも部の団体レギュラーにさえ なれそうもなく、 そのことは部の首脳陣にも 早々にわかったので、 2年生からは 「学生連盟(通称、学連)」 に送り込まれた。 学連というのは、 要は大会の運営や記録の公認や 選手強化のプログラムを 組んだりする組織で、 日本の大学スポーツは 伝統的に学生の自主運営である 競技が多い。 これは日本のスポーツの多くが、 昔、大学生によって 外国からもたらされ 大学生によって普及されたという 伝統によるものだろうが、 私がやってた競技も例外ではない。 まあ、かっこつけたことを言っても、 要するに選手としては使い物にならんから 学連に行って下働きしてこいって いうことだったわけだ。(苦笑) とほほ。。。な気分で 学連委員となった私だったが やってみると意外なおもしろさに 夢中になってしまったんだね。 学連委員という立場だと 雲上人の他校の有力選手とも 知り合いになって話ができる。 その中には大学在学中に 世界選手権で3位になり、 後にバルセロナ、アトランタ、 シドニー、アテネと 4回連続五輪に出場して 先日引退した 他校の後輩もいた。 その彼は、 私がたこちゅー商事1年目の時、 突然、私に電話してきて 「かみぽこ先輩、こんにちは。 たこちゅーにOB訪問したいんですけど。」 と言ってきたので、 いや、お前は五輪のメダルを目指せと 諭したことがあった。(苦笑) まあ、学生だけでなく 社会人の有力選手にも会えた。 「選手村にカラオケセット持ち込んで リラックスしてます。 カラオケ500曲歌えます。」 と、五輪のメダルを取った後、 NHKの番組でこのようにコメントした 全国民をあきれされた某選手とも 話をする機会を持てた。 (なんとなく、なんの競技かわかってきた人も いるかもしれませんね。) まあ、この時は この番組を見た会社の先輩に翌日、 「この競技をやってる奴は、 みんなお前みたいなのか? 歌が歌えないとできないのか?」 と、質問された。 まあ、私も当時、会社で カラオケ・キングだったもんでね。。。(苦笑) 4年生になると、 学連の幹事長をやったのだけど、 その時は上部団体の 全日本連盟の理事会にも 出席できたのだよね。 といっても、 もちろん発言権などなく、 ただ、一生懸命話を聞いて 議事録を書くだけだったけれども。 その時の思いでは、 理事会に当時まだ正式に 開催が決定してなくて 立候補中だった長野五輪の 誘致委員会かなんかの人が来て 挨拶したのを覚えてるね。 夏には、 学生代表チームを組んで 韓国遠征があった。 私は当然選手にはなれないけど、 スタッフで帯同したのだよね。 結果は惨敗。 学生の試合に上部団体の協力が得られず、 ナショナルチーム級の選手を 連れて行くことができなかったからね。 「いつか、学生の代表が 世界で勝つといいなあ。。。」 と、漠然と思ったりもしたね。 その年の秋には、 アジア大会の結団式にも なぜか出席した。 学生から代表選手が出ていたもんで。 その式に出席していた中には ラモスとかカズもいたよ。 まだJリーグが始まる前だったけど。 あと、式が一通り終わった時、 余興(?)ということで 突然、鳳蘭が壇上に登場して、 すみれのは~な~♪ さく~ころ~♪ と歌い始めたのは ビビッた。 あれは誰のコネと 趣味だったのだろうか。。。(苦笑) あとは、その年の年末の 学連の理事会だね。 私は司会をしていたのだけど、 先に述べた五輪選手のいる 大学の理事(OB)が 緊急提案をした。 「○○大学の監督さんは 非常に熱心な方なので 理事に加えたらどうか?」 私の大学の監督のことだった。 この監督は「英国留学回想録」の 最初の頃に、私に英国の大学院への 推薦状を書いてくれた方なので 覚えている方もいると思うけど、 この理事会以来監督は 連盟の仕事に関わるようになり、 後にナショナルチームのスタッフになり シドニー五輪では TV中継の解説者を務めた。 まあ、私も大学卒業後は この競技とは縁が薄くなって いたんだけれど 昨年、私にある仕事の依頼が 舞い込んできた。 それでは、またね。 (その2へ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月27日 01時35分26秒
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