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さて、「英国留学回想録」。
今日は「大学院修士課程のスタート」最終回(第6回)。 「あ・な・た・の・声・が・き・き・た・い・わ」。 (2000年10月上旬) これはおそらく、留学回想録前半のクライマックスである。(笑) 先週はいよいよ授業スタート。 世界的大哲学者・ヘーゼル・ハリー教授が出す 狂ったようにヘビーな課題に言葉を失くしたところまで書いた。 同じ日の午後2時半、 もう1つ授業があった。 これがソフィア・デラ=ロッサ博士の 「比較政治論」 の授業であった。 この授業も、ソフィアの小さな研究室で行われる。 私たちコースメートは、 ハリー教授から与えられた課題のショックから立ち直れずに、 青い顔をしたまま、弱い足取りでソフィアの部屋に向かった。 部屋をノックして開けると、 長身で細身、ショートヘアーで 化粧っ気がないが美人のイタリア人女性が立っていた。 「Please sit down! (まあ、座んなさい)」 とイタリア人にしては訛りの少ない英語で言われた。 しかし、言葉の調子はやたらキツかった。 こわっ。。。。。 と思ったのを覚えている。 これが今日まで続くソフィア・デラ=ロッサ博士との 腐れ縁の始まりだった。(苦笑) このクラスの学生は、 私のコースメート7人と、 PhD (博士課程)1年目の台湾人・ベルナルド (「レイシズム」関連の文章で何度か既に「かみぽこぽこ」に登場) の合計8人だった。 「自己紹介して! それから、この紙にメールアドレスと名前を書いて!!」 学生が席に着くと、 前置きも何もなく、 ソフィアが言った。 彼女のキツイ調子の言葉に、 ただの自己紹介なのだが妙に緊迫した空気が、 研究室に漂う。。。。 「か、か、か、かみぽこ、です。。。。 に、に、日本から、来ました。」 たったこれだけなのに、 えらいどもった記憶がある。(苦笑) 全員の自己紹介が終わり、 全員が回した紙に名前とメールアドレスを書き終えると、 ソフィアが言った。 「じゃあ、これを誰かパソコンで打って 来週持ってきてくれる?」 ただ、これだけのことなのだが、 えらい彼女の調子がキツイので、 誰もやりますと手を挙げない。 しーんんんん。。。。。 異様な空気が研究室に漂い続ける。。。。(苦笑) 「うーん、じゃあ、ピーター! 貴方がやってきて!!」 ソフィアがピーターという カーリーヘアーの太った男をいきなり指名した。 ピーター、外見に似合わず、 異常にか細い声で 「は、は、は、はい。 わ、わかりました。。。」 と答えて、紙をソフィアから受け取った。 連絡先をエクセルで一覧にするという、 ただそれだけの作業なのに。。。(苦笑) 次に、来週以降の授業の最初の10分間にやる プレゼンテーションを誰が担当するかを決めた。 来週分、再来週分。。。。 と希望者が手を挙げて、順番に決まっていく。 残りが2-3週分になったとき、 ソフィアが言った。 「ブーリアン関数は誰がやるの?」 希望者がいないところだった。 コースメートの一人が 「かみぽこは?」 と言った。 ソフィアが私を見る。 私は、 「ああ、いいですよ」 と言った。 すると、コースメートの何人かが 「おお、チャレンジーング!(挑戦的)」 と言って、くすくすと笑った。 どうも、誰もやりたがらないところらしかった。 なんちゃら関数というくらいだから、 数学かなんかを使う比較の方法論で みんな苦手だったのだろう。 どうやらはめられたらしい。 まあでも、どうせ他の週のテーマも よくわからなかったから もう別にどうでもいいやと思った。。。 さて、授業の最初の事務的なことは全て終わった。 今日は誰も何も予習もしてないから、 これで終わり、と思ったら。。。。 終わらなかった。 「じゃあ、今日は初日だから、 『比較とは何か』 から議論しましょう。」 とソフィアが言った。 おいおい、何の準備もなしにいきなり始めるの? とちょっと私は引き気味になった。 「OOOOOOO、XXXXXXXXX」 「△△△△△、□□□□□」 学生同士の議論が始まった。 事務的な話の時はまだなんとか聞き取れた英語も、 議論になると、みんな真剣だから早口になる。 もはや、私には一言たりとも 何のことやらわからなかった。 私はただ、黙って座っているだけ以外 何もすることはできなかった。 30分くらい経過した。。。 クルッとソフィアが私に顔を向けた。 「かみぽこ。貴方は何か意見がないのか」 「いや、あの、その。。。」 私は慌てた。意見を言いたくても、 その前の議論が何もわかってないのだから、 何も言いようがない。 すると、ソフィアがものすごくゆっくりなスピードで こう言った。 「あ・な・た・の・声・が・き・き・た・い・わ」 意見ではない。声がききたい、である。 さすがにこれはショックだった。 しかし、それでも私は黙っているしかなかった。 「。。。。。ピーター?」 ソフィアは無言で別の学生を指名した。 屈辱的な瞬間だった。。。。 授業が終わった。 寮への帰り道、ふと電話を掛けてみた。 「U美子?今日、空いてるか?? おらが街の中華料理の食べ放題行こう。 え?なんで突然にって?? そういう気分なんだよ」 ということで、急遽U美子を 「中華料理のやけ食い」 に誘った。 U美子というのは、 国際関係論修士の学生。 ブリティッシュカウンシル時代のコースメートである。 そして、私がヒースローの入国審査で、 「英国に友人はいるか?」 と入国審査官に聞かれ、 「U美子・アイハラ」と 「U美子・アイカワ」を 間違えて審査官に疑われ、 2ヶ月しか学生ビザをもらえなかったことを 覚えている方もいるだろう。 そのU美子・アイハラである。 U美子には本当に悪かったのだが、 中華料理をやけ食いしながら、 散々先生の悪口やら、学校の悪口やら 日本人の悪口やらを言った。。。。 あの頃の私というのは、 本当に人間性がひどかったものだ。 しかし、中華料理のやけ食いと、 他人の悪口を言うことは、 決して屈辱から私の心を開放してはくれなかった。 寮の部屋に戻って一人になったとき、 私の両目から、涙がこぼれ始めた。 私は泣いた。声を上げて泣いた。。。。 英国留学を志した日から、 私が泣いたのは、 後にも先にも今日までこれ1回きりである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月11日 05時51分51秒
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