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さて、今日はちょこっとだけ
安倍内閣が熱心にやっている 「教育再生会議」 について書いてみたいんだけどね。 え~、教育問題についてはね うちの実家に大家がいるので(苦笑) (親父の定年退職) たまに書くと 「なんもわかっとらん」 という感じなので ほんとにちょこっとにしたいんだけど(苦笑) 年末に帰省した際に 親父殿からいろいろお聞きした話を 僕なりに解釈して 書いてみたいんだけどね。 まあ、教育再生会議では 有識者のみなさんが 喧々諤々いろいろ議論して 大変結構なことだと思います。 このブログでは 基本的に1つ1つの政策が 実現していくまでの過程に 興味があるのであって、 政策の中身については その是非は論評しないことに なってるんだけれども、 ここでは1つだけ 思ったことを書いてみたい。 教育再生会議の議論では 「公立校の社会人の教員採用を 5年後を目処に約10倍の 年間500人程度に引き上げる」 という目標を設定した ということについて なんだけどね。 これはいかがなもの なんだろうかと 思うわけです。 もちろん僕は社会人を 教員として採用することに 反対というわけではない。 そりゃ例えば、 海外で英語を使って勝負してきた自分には 海外にあまり行ったこともない先生とは 一味違った授業ができるかもとは思う。 また、昔の僕の仕事の関係でいえば、 例えば製鉄所の現場の技術者さんたちは 化学の化学記号に関しても、 おもしろおかしく語れるだろうと思う。 だけど、それはあくまで、 子供が授業内容に より興味を持つために どうしたらいいかという テクニカルな話だと 思うんだよね。 教育の本質というのは そういうことではないという 感じがするんだよね。 僕の親父殿がまだ現役で 中学校の校長だった時に こんな話があるそうだ。 ある時、市内の中学校の校長と 同じ市内の高校の間で 会議があったそうだ。 議題は生活指導。 高校の生活指導担当の教諭が こう切り出したそうだ。 「生徒が掃除の時間に 騒いでばっかりで まじめに掃除をしない。 いったい中学校では どういう指導をしてきたのか? 中学校の間にきちんと指導を してもらわなければ困る。」 中学校の校長先生方は 下を向いてシーンとなった。 その時、親父殿が手を挙げた。 親父「ではお聞きしますが、高校では 掃除をなぜしなければならないか どのように指導なさってますか?」 高校の先生「えっ?」 親父「いや、ですから、 掃除はなぜしなければならないか、 どのようにお考えになって、 指導されてますか?」 (高校の先生)「。。。。。」 (親父)「私の学校では、 『静寂』 ということを 子供に身体で覚えさせるために 掃除をやらせています。 『静寂』を覚えさせるとは、 静かに心を落ち着かせる 環境を持つこと、 その静かな環境の中で 物事に落ち着いて 取り組むことの大切さを 子供にわからせることです。 心の落ち着いた人間を育てることです。 それが、掃除の目的です。 そして、我が校では まず先生が率先して 掃除をします。 子供よりもまず 先生が掃除を一生懸命やる。 我が校では掃除の時間に 騒ぐような子供はいませんよ。 それが、高校に入ったら 掃除の時間に騒ぐような 子供になってしまう。 いったい、高校では どのようなお考えで 掃除の時間の指導を しておられるのか?」 (高校の先生)「。。。。」 (親父)「先生がふんぞり返っていて どうして子供が掃除をやりますか? あなた方は自分らの怠慢を 中学校に責任転嫁しているんじゃ ないですか?」 その時、じっとやり取りを聞いていた 高校の校長先生が立ち上がって 「かみぽこ先生の仰る通りです。 失礼を申し上げました。 誠に申し訳ない。」 うん。。。 もう1つ親父殿の話をしていいかな? 親父殿がずっと可愛がって 面倒をみてきた先生が 校長をしている 小学校があるんだよね。 その小学校の子供たちが 荒れて荒れてどうしようもないらしい。 それで、そのどうしようもない学校を どうしようかと学校側と父兄たちが 話し合うことになって、 校長先生から親父殿に その会議にアドバイザーとして 参加してほしいという お願いがあった。 親父殿が校長先生の隣に座って 会議が始まったのだけど、 まあ、父兄たちが屁理屈ばかり言ってね。 「授業中に子供の態度が悪いからと 注意したのはやりすぎだ」 「子供の自主性を尊重するのも必要」 「先生にはなんの権限があるというのか?」 とか、会議は紛糾したらしい。 何時間もじっと黙って聞いていた親父殿は 父兄が屁理屈をいうのに疲れた頃に おもむろに口を開いた。 「あなた方は、何をごちゃごちゃと 話しておられるのですか? 事の重大性をなんにも認識してない。 今、一番大事なことは、 あなた方の子供たちは このまま放っといたら 中学校になったら 補導されて少年院行きに なってしまうということですよ。 冗談じゃないですよ。 先生に屁理屈を言うている 場合じゃないですよ。 子供たちは全員少年院行きですよ。 それが事の本質ですよ。 わかってるんですか? わかったら、 ごちゃごちゃ屁理屈言わずに 先生に協力しなさい!」 と、父兄たちを一喝。 父兄たちは、 しーんんんんん。。。 となって、 父兄たちは荒れた学校をどうするか 真剣に話し合いを始めたそうだ。 うん。。。 ここまで親父殿に聞いた話を 紹介してきたのだけれど、 ここからは僕自身の考えを つたないながらも書いてみたい。 今、「教育再生会議」でね、 「社会人の教員への採用」 「いじめの再定義」 「いじめた子供への厳罰」 とか、いろいろな案が出ているけれども 大切なことはそういう対症療法ではなくてね、 「なぜ掃除をしなきゃいけないか」 「なぜ教室では静かにしなきゃいけないか」 「なぜ勉強をしなきゃいけないか」 「なぜいじめはいけないのか」 「なぜ犯罪を犯してはいけないか」 などなどをね、 子供(とその背後にいる屁理屈ばっかりの親)に 信念を持って語れる教師を いかに養成していくかと いうことだと思うんだよね。 そこさえしっかりしていれば、 他の個別の問題は 実は些細なことだと思う。 だって、例えばだけど 勉強の大切さを 先生が子供に語って 子供が納得すればだよ、 別に社会人が現場に出てきて おもしろおかしく授業をしなくたって、 子供は勉強に興味を持って 積極的に取り組むだろうし、 そうすれば学力低下の問題だって 自然に解決することになる。 もう1つ言えば、 あのヤンキー先生って人が 派手にいかにも自分のアイディアだと アピールしていた 「いじめる子供の出席停止」 だけれども、それは既に 学校教育法に明記されているんだよね。 要は、出席停止という制度は ヤンキー先生が言わなくても 既にあるわけだ。 ただ、それを発動できるかどうかは 現場の先生の信念によるということ。 出席停止にした時に、 ごちゃごちゃ屁理屈を言ってくる親を 一喝できるかどうかの問題だ。 一喝する信念が先生になければ、 いくら出席停止の法律があっても 使えないからね。 だから、信念を持った先生がいることが 大事になってくるわけだ。 でも、そういう信念を持った 教師を養成するって 簡単なことじゃないんだよね。 「なぜ掃除をしなきゃいけないか」 「なぜ教室では静かにしなきゃいけないか」 「なぜ勉強をしなきゃいけないか」 これ、きちんと説明するのって 簡単なようで実は簡単じゃない。 うちの親父殿、 わかりやすい言葉で しゃべっているけれども、 その裏にはすさまじい努力が あるんだよね。 うちの親父殿、 古今東西の教育学の書から 儒教などの哲学書まで 徹底的に研究している。 今日でも、来週末には 政治学博士になる(?=苦笑) 僕よりも研究してますよ。 その上、30年以上も 教育現場でそれを実践して きているわけだ。 だから、誰に対しても 信念を持って語れるわけです。 社会人を教育現場に入れれば うまくいくというような もんじゃないんだと思う。 もちろん、社会人としての経験から 信念を持って教育に取り組める人も いるだろうと思う。 でも、多くの人は おそらく教育現場に立っても テクニカルにおもしろい授業はできても それ以上は難しいと思う。 僕はそう思いますもん。 僕はおもしろい英語や社会科の 授業をする自信はあるけれども、 屁理屈ばっかりの親の前に立って 一歩も引かない信念を示せるかというと それは正直難しいと思う。 だから、教育の中核を担う人は あくまで社会人経験者ではなく、 大学の教育学部でしっかり 教育とはなんたるかを学び、 教員免許を取得して 教師になる人たちなのだ。 「子供に信念を持って語れる教師 をいかに養成していくか」 という、「政治的」にはいかにも地味で アピール力がないけれども(苦笑) 実は事の本質であって もっとも大切なことが 教育再生会議で語られてないことを 実に残念に思うわけであります。 ちょこっとだけ 思ったことでした。。。(苦笑) うひょひょ。。。 それでは、またね ------------------------------------------- 「かみぽこ政治学」バックナンバーはこちら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月20日 08時07分37秒
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