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2007年04月01日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、「英国留学回想録」。
今日は、「人生で一番楽しい時」第9回、

「『批判する』ということ」。
(2001年7月中-下旬)

前回書いたのは、
「読まずに書く」。

修士論文のタイトル変更をして
1ヶ月の時間をロスしたことから、
ゆっくり資料を読んで考えてから
書き始めることはできなくなった。

資料はもちろん読まないといけないのだが、
同時に書き始めないと
9月の締め切りに間に合わなくなった。

「読まずに書く」は
やむにやまれずやったことでは
あったけれども、
それには大事なことは
含まれていた。

。。。。と、こんなところかな。(笑)

今回はその続き。
読まずに書こうとしたことについて
書いていきたいと思う。

最初に、この時期の私の1日が
どんな感じだったかといえば、
朝6時に起きてメシを食って、
8時の図書館の開館時間に
合わせて寮を出発し、
(このへんは以前に書いた
「私の1日」と同じ)
8時に図書館に一番乗りして
個室を確保する。

その後は、個室に設置してある
デスクトップのPCを使って
書き始める。

個室の窓からは、
寮と学校の間の小道が見え、
学校へ向かう友人たちの
姿が見えたりした。

毎日見ていると、
友人たちの行動パターンがわかったりして、
それはそれで、なかなかに楽しかったりもした。
(嫌なやつ?=苦笑)

しかし、私は1日中図書館にいたわけではない。

私の研究室(?)であるところの、
芸術会館のカフェと図書館の個室の間を
行ったり来たりしていた。
要は、図書館で書き、カフェで読む、を
2-3時間置きに繰り返したのである。

さて、その「書く」の部分である。
私はこの修士論文を書くに当たって、
1つの戦略を立てた。

いや、戦略というより、
私にとって論文の書き方として
「比較的やりやすい方法」を
とったのである。

「比較的やりやすい方法」とは、
論文で書く自分の主張と
異なる主張をまず紹介し、
1つ1つ批判し、論破していくことだ。

これはね、以前
「うちの学校の1年」というシリーズを
このブログ・メルマガでやっていた時に
「教授が教えてくれないエッセイの書き方」
として書いたことがある。

要は、修士課程レベルのエッセイでは、
「批判すること」が重要とされるのだけれども、
日本からの留学生はこのことが
いまひとつピンとこないことがある。

そのために、エッセイの得点が
低く抑えられることがある。

「批判がない。知識を書いているだけ」

という評価をされることがあるということだ。
これは、別に日本からの留学生が
能力的に劣っているということではない。

ただ、教育制度が違うから
「批判すること」に慣れてないと
いうだけのことだ。

日本では知識を覚えることが
教育の中心であったために、
「批判する」ということが
感覚的にわかりづらいということだ。

しかし、これは逆に
英国人の教授にとっては
わかりづらいことである。

英国人にとっては、
「物事を批判的に見る」ことは
子供の頃から学校でやらされる
当たり前のこと。

だから教授にとっては
「修士レベルでは批判が大事なんだよ」
と言えば、学生は当然その意味を
理解できると考える。

だから、「批判とは何か」については
「教授が教えてくれない」のである。

私は、この「批判する」ということが
いまひとつ理解できないままに、
エッセイを書かなければならないことがある
日本からの留学生が、
エッセイ上でシンプルに
「批判」ということを行える方法が、
今回私がとった

『論文で書く自分の主張と
異なる主張をまず紹介し、
1つ1つ批判し、論破していくこと』

という方法なのだ。

これは以前エントリーで
紹介したことがあったけれども、
要は、理屈として「批判」ということが
わかっていないとしても、
とりあえず自分の考えと違うものを
並べ立ててそれを論破していけば
それが即、「批判する」ということに
なるわけだからね。

教授とかコースメートとか、
あるいは今の私のような
PhDなどの先輩にいろいろ聞いて、
いろんなことを言われて頭が混乱するより、
とりあえずこうすれば手っ取り早いでしょ。

私は、修士課程の学生に
「批判するということがわからない」と
聞かれたら、余計な難しいことは言わず、
とりあえずこうしてみたらいいと
言うことにしている。

まあしかし、
ここまで私が書いたことを
研究者レベルの人が読んだら、
疑問に感じる部分もあるかもしれない。

『論文で書く自分の主張と
異なる主張をまず紹介し、
1つ1つ批判し、論破していくこと』

だけで、もちろん論文として
全てOKということではなく、
自分の考えに近い主張についても
その問題点を指摘して、
自分自身の主張を練り上げるとか、
いろいろあるんだけれども、
とりあえず修士課程のエッセイについては
「主張と批判」が大事なのであって、
オリジナリティは要求されていないのであるから、
(もちろん、あるならそれに越したことはないけど。。。)
そのレベルで結果を出すための
シンプルな方法を言っているのだということで
1つご理解をよろしくお願いしたいと思う。

話がだいぶ外れてしまったけれども、
本題に戻すと、
エッセイを書くにあたって、
私がこの方法を初めて採用したのが、
修士論文の時だった。

具体的にはあれなのだけれども、
1つ例を挙げると
この修士論文の最後の章の
「外交交渉について」のところでは、最初に、

『大統領制(首相公選と近い制度)などで
指導者の政治力が強化されると、
外交交渉においてより強い交渉力を発揮できる」

みたいな主張をいろいろ並べ立てるわけだ。
それに対して、私は

『そんなことはない。
大統領制や首相公選制で
政治指導者が国民から
直接選ばれる制度下では、
指導者が国民の支持を獲得するために
大衆迎合的なスタンドプレーに走り、
外交の継続性を損ね、
将来に禍根を残すことが多い』

みたいに反論し、
あの時は確かその例として、

『金丸訪朝団で北朝鮮に金をばら撒いた』ことや
『自社さ政権の頃、
国連安保理常任理事国入りのチャンスがあった時に、
村山富市、河野洋平、田中秀征らが
リベラルの立場からの政治的アピールのために
その流れを断ち切ってしまった』

というような話をいくつか挙げ、
逆にWTO交渉などでの
日本の継続的な努力が評価されている
というようなケースを書いて、

「やっぱり首相公選制は
外交の継続性を保つためにも
あきまへんな」

と、結論づけた。(苦笑)
今思うと、なんじゃこれって
恥ずかしいとこはあるけど、
まあ、6年も前の修士論文の話だからねえ。

そこはあまり突っ込まないで
いただきたいということで、
1つよろしくお願いしたいと。(苦笑)

とりあえず、資料を読み終わる前であったが、
こんなようなことを考えては書き、
非常に粗い文章ではあったが、
どんどん指導教官のソフィアに送りつけて
彼女のコメントを待った。

その彼女のコメントというのが、ねえ。。。(苦笑)

それはまた次回にでも。
それでは、またね。






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最終更新日  2007年05月07日 21時31分26秒



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