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さて今日は、久しぶりに
「大英帝国は生きている」で いきたいと思います。 ほんとは第3回は 「ロシア編」 のはずだったんだけど、突発的に 「イラン、英兵拘束」 という大事件が起きてましたんでね、 そちらを先に書いてみたいと思う。 この事件はご存知の通り、 3月23日にペルシャ湾で 英国兵15人が イランによって拘束されて、 13日後の4月4日に 解放されたわけだ。 これ、事件の途中では イランが 「領海侵犯を英兵が認めて謝罪する映像 (それもわざわざ女性兵士の映像)」 を流したり、 「英兵が、イラクからの 英軍撤退を訴えている手紙」 がイランから 英国に送られてきたりして、 逆に英国は、 「人工衛星がキャッチした 英船がイラン領海を 侵犯してないという証拠」 を示して、イランの主張に反論し、 「イランとはこの件に関して 一切交渉をしない」 と、ブレア首相が 英兵の即時・無条件の解放を イランに要求した。 同時に英国は、 国連とEUを取り込んで、 イランを国際社会で 孤立化させようとする 動きを見せた。 この英国の動きに対しては、 ロシアが難色を示したりもあって、 イラン包囲網は完璧にならず 英国・イラン双方が 一歩も譲らない チキンゲームの様相を 呈してきたために、 問題は長期化する恐れが 出てきていた。 「イランの米国大使館人質事件」 と、比較する方もいたしね。(苦笑) ところが。。。 事件は、あっけないほど あっさりと解決した。 外交の常とも言える、 「双方勝利宣言」 によって。(苦笑) イランのアハマディネジャド大統領は、 「イランは15人の兵士を 訴追する権利を持っているが、 イランのイスラム体制および 国民の名において 恩赦を与えることを宣言する。 これは英国民への贈り物である」 と、突然宣言して英兵を解放し、 これに対して英国のブレア首相は 「新しく、興味深いルートで イランとコンタクトを続けた」 と、言ったが、 「イランとの取引は一切ない」 とも言い切って、 「謝罪しない、領海侵犯は認めない」 英兵の解放の実現をアピールした。 その上で、 「国連安全保障理事会や欧州の仲間、 中東地域の仲間や友人の役割に感謝する。 イランの人々に悪感情はない。 威厳ある歴史と誇りを持った 古代文明の国として尊敬している。 不一致点は将来も対話で 平和的に解決できる」 と、とうとうと 演説したんだよね。 この人はほんとに 言葉の使い方がきれいだね。 でも、よくよく聞いてると なんだか意味不明なわけで。(苦笑) 特に、 「新しく、興味深いルート」 って、いったいなんなんだよ。(笑) まあ、この13日間に 英国とイランの間で どのような外交交渉があったのか、 そのうち明らかになっていくだろうけど それはともかくとして、 僕がこの事件を ずっとネット(FT、The Economist 、The Guardian)と TV(BBCニュース)で追っていて 日本人として強い印象を受けたのは、 「英国はイランと切れてない」 ということだったね。 まずもって、マスコミが 刻々と伝える情報だけれども 日本だと外国でこういう事件が起こると、 まず、第三国経由の情報というか 外国報道機関の報道を拝借するのが メインになるけれども、 英国のマスコミは確実に 自前の情報ソースがイランにあり 自前の情報を取っていることが 明らかにうかがえた。 これ、日本人からすると ほんと新鮮だよ。(笑) それと、英国政府は 「一切イランと交渉しない 無条件の英兵解放のみ」 と言っていながら、 最初からいろんなルートで イランと接触が行われていることが 断片的ながら チラチラと伝わってきた。 英国は米国からの 「俺がイランに圧力かけたろか?」 という申し出を 「どうぞ、おかまいなく」 と、さらっと断った。(苦笑) そして、突然の イラクからの英兵解放である。 そして、 「新しく、興味深いルートで イランとコンタクトを続けた」 という、ブレア首相のコメントでしょ。(笑) うーんんん。。。(苦笑) 「拉致問題の解決!」 と、叫んだ後に 相手が怒ってしまって 全く相手と接触する ルートがなくなって、果ては 「私が対話のルートを作ってくる」 と、堂々と宣言して 相手のところに 行って来る人まで現れて でも、その人が なんのルートを作ったのか さっぱりわからない どこかの国の国民としては これは非常に違和感があるというかね。(苦笑) この事件は結局 どうやって解決されたのか さすがに僕などには わかりようもないけど 1つだけ言えることは、 英国は米国などと一緒に ずっとイランの核開発に関して 制裁を課してきたわけだけど、 いつでもイランと対話できる ルートがいくつもあると いうことだよね。 そこで、このエントリーでは 今後次第に明らかになってくるであろう この事件の外交交渉の事実を よく理解するための知識として 英国とイランの関係というものを 少しおさらいしてみたいと思う。 前回、「中国編」では、 「HSBC(香港上海銀行)」 について書いたね。 つまり、英国籍の金融グループが 中国経済の心臓となっていると いうことなんだけれども、 イランの場合、 「BP」(旧・ブリティッシュ・ペトロリアム) ということになる。 世界最大級のエネルギー企業だけれども、 この企業のそもそもの成り立ちが 1909年に英国人・ウィリアム・ノックス・ダーシーが ペルシャ国王から石油採掘権を取得して 発足した 「アングロ・ペルシャ石油」 で、その後ペルシャが イランに国名変更すると 「アングロ・イラニアン石油」 になり、1953年にパーレヴィが 石油国有化を企てる政府を転覆して 王位に就くと 「ブリティッシュ・ペトロリアム(英国)」 と社名を変更して、 イスラム革命までの間、 イランの石油利権の40%を 握ってきたわけだ。 もちろん、現在BPは イランにはいないわけで、 北海油田とアメリカの油田に 移っているわけだけど、 これは単純に影響力の低下とは言えない、 BPは川上の油田の権益を握ることよりも 他企業の買収・合併を繰り返して 石油の精製・小売り、 石油化学製品の製造・販売 天然ガス、発電事業と 川下を強化して エネルギー産業全体への 影響力は強化されている わけだからね。 また、前述した1950年代の イランの石油国有化の動きでは BPがイランから完全撤退の 動きを見せると、 イランはなにもできなくなったと いう側面があった。 だから、イスラム革命後も BP本体はイランから撤退したとしても 石油ビジネスでの英国との関係は いろんな形で残ったと考えるほうが 自然だろう。 端的に言えば、 外国資本を追い出して、 国有化してみたはいいけれど、 いったい誰が その国有企業を経営し、 工場を動かすのかということだ。 やったことない素人にいきなりそんなこと やらせるわけにはいかないから。 だから、イランが国有の石油会社を作った時 その経営や工場の運営をやるのは BPとかで働いていたイラン人ということになる。 つまり、現在のイランの エネルギー関連の役所の幹部や 石油会社の幹部の人たちというのは BPに「元上司」だった人がいるというのは 至って自然なことのような気がする。 イスラム革命後 イランと国交を断絶した 米国とは違って、 英国はイランとの関係は ずっと維持されて きているわけだしね。 こういう非公式な人間関係というのが 英国とイランの間には しっかり残っていると 思えるんだよね。 僕は、こういう非公式な人間関係というものを しっかり残していくことが 英国企業の現地化の真髄だと思っている。 それと、イランという国について 1つ指摘したいことがあるんだけど、 意外に知られていないことだけど イランっていう国は ある意味中東のイスラム諸国では 一番民主主義が発達している。 大統領選挙や議会選挙は 普通に行われるし。 イランには信教の自由も実はある。 キリスト教やユダヤ教の コミュニティーも存在している。 ただ、その議会制民主主義の上に、 イスラム法学者がいるわけで、 その法学者の推薦がないと、 大統領選挙にも出れないということは あるわけだけどね。 「大日本帝国」 並には民主主義があるというのが 僕の理解だけどね。 これは結構な高評価なんですよ。 戦争中に内閣不信任案が可決し 政権交代が起きた大日本帝国は その当時としてはかなり高度に 民主主義が発達していたと 僕は考えていますので。(苦笑) 皆さんよくご存知の通り イランは現在は相当に保守的な方が 大統領をやっているけど 民主化を求める「改革派」も存在していて イスラム法学者は別にしても 行政府の官僚には 西側(米国を除く)で教育を受けた人間が かなり多数いる。 もちろん英国で 教育を受けた人間も 相当にたくさんいる。 だから、イランという国は 教条的にイスラム教を信じるのではなく 西側をよく理解して 西側に対しても人間関係を しっかりと維持して 現実的に行動する側面がある。 要するに、英国とイランの関係というのは 政治的にはイラン核開発の制裁で 冷え切っているのだろうけど それとは別に 非常に現実的行動する両国なので いろんな人間関係が 維持されてきているのだろうと思う。 だから、イランによる 英兵拘束事件の突然の解決は 「高度な外交戦の結果」 なんていう話では 実はなかったりして、 英国とイランの商人たちが すりすりと寄ってきて 「また、わけのわからない問題が 起きてしまいましたなあ~」 「なんとかせな、あきませんなあ~」 なんて会話から、 ひょいっと解決策が 出てきたなんてことも あるような気がする。(苦笑) それが、 「新しく、興味深いルートで」 だったりしてね。(苦笑) わけがわからないけど。。。 うひょひょ。。。 まあ、外交というのは 日頃からいろんなルートを 築いておくことが大切です。 それでは、またね ------------------------------------------- 「大英帝国は生きている」バックナンバーはこちら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月18日 04時59分04秒
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