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2009年05月04日
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さて、ご無沙汰です。
「かみぽこ政治学」です。

今日は、いわゆる

「小沢辞任問題」

に関連して、
書いてみたいと思う。

民主党の小沢一郎代表の
資金管理団体「陸山会」が、
準大手ゼネコン「西松建設」からの
迂回(うかい)献金と知りながら
献金を受け取っていた疑いが強まり、
東京地検特捜部は
小沢氏の公設第一秘書で
陸山会の会計責任者、
大久保隆規容疑者(47)ら3人を
政治資金規正法違反
(虚偽記載など)容疑で
起訴した。

しかし、小沢代表は

「「衆院選が取りざたされる時期に、
異例の捜査が行われた」
「従来のやり方を超えた異常な手法。
不公正な権力の行使」
「不公正な権力の行使」
「(秘書の起訴を)納得できず
このまま認めれば
日本の民主主義のあり方にかかわる」

と、検察を猛批判した。


民主党内には小沢代表の
辞任を求める意見が強いものの、
鳩山由紀夫幹事長が

「国策捜査」

との認識を示した。

また、枝野幸男・仙谷由人さんなど
弁護士出身の議員らが
検察の捜査そのものに対して
疑問を呈している。

一方、自民党は、小沢発言と
民主党の「国策捜査」の認識を

「誠に常識を欠いた、めちゃくちゃな発言だ。
幹事長なり法相が本気で怒らないといけない」
「首相が検事総長を呼んで『やれ』なんてあり得ない」

など、厳しく批判した。

今回は、いわゆる検察による
「国策捜査」

というものは
ほんとにあるのかを、

「検察VS政党政治」

の約100年間に渡る戦いという
歴史的観点から考えてみたい。

「検察VS政党政治」は、
平沼赳夫衆院議員の祖父で、
検察官僚であった

平沼騏一郎

の台頭から
始まったと言われる。

平沼さんは我が国検察史上、
もっとも政治性の高い人として
畏れられた人らしい。

今では信じられないことだが、
元々、「司法省」といえば
各省庁の中で
一番バカにされていたらしい。

それが、この平沼氏の登場から、
政党政治の台頭を阻む
「政治的」な司法に
変貌を遂げることになる。

そのきっかけとなったのは、
ちょうど100年前の1909年、
製糖を官営にしようとして
大日本製糖の重役が
手分けして金を配った

「日糖疑獄」

という事件である。

代議士に次々と
逮捕者が出たために、
当時の桂太郎首相は
検察に対して
捜査の停止を要請した。
これは、

「政治による司法への介入」

であったが、桂首相と交渉しながら
当時民刑局長だった平沼氏は、
これを逆手にとれば

「司法が政治に介入できる」

ことに気付いた。

そして、汚職事件に関連している
政治家を罪に問うかどうかを
交渉材料として、
政治に対して
影響力を行使しようとする

「政治的検察」

が誕生した。

そして1914年、

「ジーメンス事件」

が起こる。

ジーメンス社東京支店のタイピスト、
カール・リヒテルが
ある秘密契約書および仕様書を盗み、
ヘルマン支店長が
日本海軍高官にリベートを
渡していることを知って、
金をゆすろうとした。

ヘルマン支店長は
ドイツに逃げたリヒテルを
告発した。

このことは、日本でも新聞で
小さく報道されていた。

しかし、検事総長に昇格していた
平沼氏はこれに目を付けた。

折しも、山本内閣は
当時の予算の13%をカットする
大行財政改革計画を
打ち出しており、
平沼氏はこれに対する
介入の機会を
伺っていた時であった。

平沼氏の指揮によって
ジーメンス事件の捜査に
検察が乗り出した。

検察が動いたことで
マスコミと帝国議会が
山本権兵衛首相を
泥棒呼ばわりし
世論を煽った。

議会の紛糾によって
山本内閣の
大行財政改革は頓挫し、
遂に内閣総辞職した。

しかし、事件が沈静化した後、
山本首相が
全くの無罪であったことが
わかった。

1925年、普通選挙法を
議会で審議中の
加藤高明内閣に
平沼氏は接近した。

そして普通選挙法の成立を
検察が妨害しないことを条件として、
加藤内閣に圧力をかけて
治安維持法を成立させることを
認めさせたのだ。

この法律によって、
検察は政友会を内部崩壊させ、

「議会中心主義」

を標榜する民政党を攻撃し、
社会主義政党や
共産党を弾圧した。

検察は政党政治を
徹底的に破壊しようと
したのである。

そして1934年、
平沼氏は枢密院副議長として、

「帝人事件」

の捜査を陰で操った。

中島久万吉商相、三土忠造鉄相ら
政治家、大蔵官僚らを次々に逮捕し、
斉藤実内閣が総辞職した。

しかし、この事件は実に
逮捕者約110人を出しながら、
公判では最終的に、
全員が無罪となった。

「帝人事件」は
空前のでっち上げ事件と
言われる所以である。

時は移って、
第二次世界大戦後。

1947年4月の総選挙では
社会党が第一党に躍進し、
民主党と連立で
片山哲内閣が発足した。

これによって、
保守と革新が
交互で政権を担当する
健全な議会制民主主義が
日本に定着する
可能性があった。

しかし検察は
この政権を容赦なく攻撃した。

当時、政党への政治献金は
届出制となっていたが、
社会党の西尾末広書記長が
50万円の献金を受けながら
届けなかったとして
起訴された。

これは本来、

「形式犯」

として、起訴に値しないもので、
最終的に西尾氏は無罪となった。

更に、昭和電工の社長が
占領軍の民政局や政官界に
接待や献金の攻勢をかけた

「昭電事件」

という贈収賄事件が起きた。

大蔵省主計局長
福田赳夫氏
(元首相、福田康夫前首相の父)
を筆頭に
官僚13人、
西尾氏を筆頭に
政治家15人が
逮捕起訴され、
民間人を入れると
計64人が裁判にかけられたという
大事件となった。

しかし、この事件も
最終的に被告のほとんどが
無罪となった。

西尾氏は社会主義者というより
議会制民主主義を志向する
現実主義者であったが、
この2つの事件で
社会党内での発言力を失った。

逆に、マルクス・レーニン主義に基づいて
社会主義の衛星国を目指し、
米英で発達した
議会制民主主義を
破壊の対象と考える左派が
社会党内で実権を握った。

そして、社会党が
政権担当能力を持つ政党に
成長する機会は
断たれてしまった。

「検察VS政党政治」

の歴史を振り返ると、
小沢代表の公設秘書起訴は

「国策捜査」

ではないことがわかる。

検察は歴史的に
権力の座にある(座を狙う)
政治家をターゲットにする

「政治的思惑」

を持って行動しているのだが、
検察と政治は対立関係にある。

逆に言えば、検察と政治が
一体となって行動する

「国策」

はあり得ないのだ。

今回、検察は政権交代間近と見て
民主党潰しに動いた。
自民党がターゲットでなかったのは、
「国策」だからではなく、
自民党がもはや検察が
相手にもしないほど
衰退したということでは
ないだろうか。

小沢代表が検察と
徹底的に戦おうとするのは
なぜだろうか。

それは、自民党の幹部だった時代から

「ロッキード事件」「リクルート事件」
「佐川急便事件」

などで検察と戦ってきた
長い経験から、
検察が政党政治を敵視し、
破壊しようとしてきたことを
よく知っているからだろう。

「検察から政党政治を守る」

という小沢代表の使命感は
理解できなくはない。

しかし、それでも
小沢代表は辞任すべきである。

検察と戦うことと、
自民党と戦うことは
同じではないからだ。

「小沢代表VS検察」の戦いと、
政権交代を巡る
「民主党VS自民党」の戦いは、
全く別次元のものだからである。

「検察VS政党政治・100年戦争」

は、小沢代表が「1人の政治家」として
これを決着するのだという
使命感を持って
裁判を戦ってもらえばいい。

一方、民主党は政権交代を目指し、
自民党との戦いに
集中すべきであろう。

そして、この政権交代の戦いは
岡田克也氏など
若手リーダーに
世代交代して
行えばいいのである。

民主党はこの2つの戦いを
早く切り離すべきなのである。

それでは、またね。

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「かみぽこ政治学」バックナンバーはこちら。

参考文献:金子仁洋『政官攻防史』文春新書、1999年。





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最終更新日  2009年05月05日 02時07分44秒



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