晩夏の夕暮れ、きんまるは
きんまるは、若くなくなったいつの頃からかしあわせな時に同時に、哀しみを感じるようになりました。哀しい情景と同時に、しあわせを感じるようになりました。最近、源氏物語を読んでいて、まったく、その感じと同じことが書いてありました。そして、その感じこそが、源氏物語のテーマだったのです。その感じを、源氏物語では、こう表現しています。「もののあわれ」です。それがわかったときに、源氏物語の世界が一気に身近なものとなりました。今の状態が常に、永遠に続くことは無いのです。それが無常感です。無情、情けがないとはまったく別の意味合いです。儚さと、永遠、それが同時に入り交じった情緒が「もののあわれ」です。夫婦、家族、友達。永遠に続くものはないのです。どこかで必ず別れがくるのです。それどころか、この世とも別れるときが誰にでもやってくるのです。だからこそ、この今日という日が味わい深いものになるのです。しあわせと同時に、哀しみを感じる。哀しみと同時に、しあわせを感じる。さらに、それを同時に感じる。しあわせと哀しさが入り交じることで、どちらも、より味わいが深く、繊細になる。この感覚が「もののあわれ」です。外人は、秋の虫の音を騒音と感じます。枯れ葉をゴミと感じます。虫の音や、舞い落ちる枯れ葉に「もののあわれ」を感じる。日本人のその感性、きんまるはとても好きです。そのもっと軽い感じは、「いとをかし」とも、表現されています。「いとをかし」のことを、若いころはなんだか可笑しいと思いこんでいましたが、笑いとは関係のない言葉なのだとわかりました。「いとをかし」は「もののあわれ」を感じる情緒、味わいのことなのです。晩夏の夕暮れ、きんまるはあんドーナツを食べながら、「もののあわれ」について思いをはせている。これは、「いとお菓子」ですね。♪チャンチャン♪