|
カテゴリ:日常生活で感じたこと
今年も家族みんなが元気で暮らせますようにとの 祈りを込めた日本のハーブ料理 スーパーにはセット並んでいますが、周りを探して みると六種類は見つかっても、仏の座があまりないの だとか 美しい風習も変わってゆきます 年が明けてから毎日毎日お天気続きます 1月の降水量はきっと低いでしょうね 今回も街中の写真 このところ、お天気が良いので似た写真で同じように 見えますが、全部別の日に写しました 空の蒼さが素晴らしいです 暮れのラジオで興味深い話をやっていました ゲストは京都大学大学院理学研究科教授山際壽一先生 ゴリラの研究一筋30年 サルとヒトの違いのわかるオトコ ヒトの発明は食べ物を分け合う集団を作ったのだとか 食べるという行為はあくまで個人的な作業 サルは群れで食べていても、食べ物を分け合ってはい ないのです 我先に、自分だけ抱え込み、他者に背を向けて食べる しかしヒトは食べ物をメンバーで分け合い、談笑しな がら一緒に食べ、コミュニケーションとして食卓を囲む これはヒトにしかできないコミュニケーションを形成 する大切な儀式なのだとか 子供の頃トイレを使う排泄の習慣を親から教えられる 人間社会では、この習慣が必要 でないと社会の中で生きられないのです それと同じく、食べる行為を家族や仲間と共有し、メ ンバーと食べ物を分け合う事を”しつける”のは、 ヒト社会で、他者の気持ちを思いやる習慣をつけさせる 立派な教育のたまものだそうです 困った時は皆とチカラを合わせて、きりぬける だから他者を思いやる事も自分の利益 現代の私たちに欠けてしまったものが、また見えてき ました 家族で食事を一緒にしないお家はサル化している 時間がないとか忙しいとかで、家族の会話もなく食事 も共にしないのは、サルに戻っているのですね ちょっと彼女お茶しない?(死語か)というのも 立派な教育のたまもの 文化だったんですね(うーん違うか) サルは家族というグループしか所属できないが ヒトは家族であったり、職場であったり、学校であっ たり、ボランティア団体とか、たくさん所属グループ を持てる それは高度なコミュニケーションのなせるワザなのだとか それにより社会を発展させてきたそうです 現代文明はこのコミュニケーションに支えられてきた コミュニケーションが崩れれば、社会も壊れます 自然界で目と目を合わせる行為は攻撃、不快を意味する しかしヒトはココロを通じ合わせる時、目と目を合わ せて会話する これもコミュニケーションがあってこそ こういったものは、小さいうちからの教育・訓練で培 われるのだそうです 考えさえられる、お話でした そう言えば、ひきこもりや、うつなど現代社会の 問題点の多くがコミュニケーション形成の失敗です もんね どこかで渇望しながら、関わることを恐れる 拒絶される事を恐れるがあまり、自ら拒絶する 携帯電話はそういう意味では重宝な、ねじれた道具 の代表ように思えます 少なくとも若い世代には‥ 自由競争とか市場原理とか競争社会とか聞こえはいい が、分け合い分かち合あうコミュニケーション文化は どこへやら 何処かの経営者に都合よく丸め込まれていないか コミュニケーショーンは、我々ホモサピエンスが生き てゆく為の大切な保険であり武器でもあるのだけど、 どんどん失われてゆきます 孤立化した我々 この先サル化した社会に逆戻りするのでしょうか 人気blogランキング参加中です。 ポチッと♪クリックで喜びます♪ ↓ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/01/07 11:15:36 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|