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カテゴリ:大阪近鉄バファローズ
60~70年代の近鉄バファローズを代表する選手といえば、投手では鈴木啓示、野手では土井正博である。
土井選手は61年に大阪・大鉄高校を中退して近鉄に入団、当時の別当薫監督に見出されて2年目には1軍デビューし、「18歳の4番打者」と言われた。 豪快で大きく構える独特の打撃フォームは子供たちがよく真似をしたものである。 ピストル打線と嘲笑されるほど非力だった打線の中にあって獅子奮迅の活躍で、近鉄時代にはタイトルは取れなかったが、在籍14年間で打率3割台を6回、本塁打20本以上10回放つなどスーパースター長嶋茂雄にひけを取らない看板打者だった。 ちなみに通算で465本の本塁打を打っているが、ライトへは3本だけであり、典型的なプルヒッターだった。 しかし阪急ブレーブスと優勝を争うような大事な試合では打てないことが多く、大試合に弱い印象も強かった。 74年に西本監督が就任し、若返りを図るということでオフに太平洋クラブの柳田豊投手(+芝池博明投手)と交換トレードされた時はショックだったが、柳田はその後近鉄で主力投手になり、79・80年のリーグ優勝に貢献したし、土井も移籍1年目には本塁打王(34本)になり「無冠の帝王」を返上したのだから結果としては良いトレードだった。 現役時代は優勝を経験していないが、引退後は主に西武で打撃コーチを務め、新人時代の清原選手を指導したし、最近では中島・中村剛などを育てた。 特に中島裕之選手の構えは土井選手の現役時代とよく似ていて、非常に懐かしい。 *土井選手の主な球歴(近鉄14年、太平洋・クラウンライター・西武7年) 安打2452(歴代8位)本塁打465(11位)打点1400(11位)打率・282(67位) タイトル 本塁打王1回(75年) ベストナイン3回 オールスターゲーム出場15回 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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