Kionaxの世界

2009/10/11(日)23:55

イベント。

こんばんは無庵です。 昨日は「西尾城趾まつり」、今日は姫の運動会とイベント週末もなんとか3分の2を消化。 明日は、純粋に「参加者」として熱田神宮の祭事に行こうかと。 ただ、姫が「コーヒー屋」という仕事に何か喜びを見出した本日。 それを踏まえて、明日は「フレーバーコーヒー」に行く。そんな選択肢もアリかと…(笑)。 さて、何だかんだで最初から最後の最後「劇薬反省会」まで参加した「西尾城趾まつり」。 ある意味、「生まれたばかりのイベント」です。 これからの育て方がワクワクします。 色々な意味で「やりたいコトが出来て無い」状態なので、少しずつでも実現させて「イベント」から「お祭り」に昇華できたら楽しいでしょう。 思うに、最近は「祭り=神事」というのが求められており、注目されています。 バブル期以降の「市民参加型」なイベント色の強い「祭り」は、もう流行らないです。 だから、そういう「○○神社大祭」とか「例祭」みたいなコトが組めない地域は、今まで以上、今とは異なる視点から「祭り」を構築していかないとダメだと思います。 偉そうに云いますが、このkionax、伊達に「宗教」に明るいワケではないのです。 日本人の基本は「多神教」です。 そして今は「多重宗教」なのです。 実は世界的には大変珍しい現象です。 だから、「祭り」=和。 でなくても良いと思うのです。 特に「○○神社」みたいな縛りがないのなら、ベースにするのは、地域性でしょう。 その地域に暮らしている人達の生活文化から、生み出される「楽しい催し」。 それもまた「祭り」ではないでしょうか。 「祭り」とは、「人とカミとの関わり」です。 それが難しいのなら、「人と人の関わり」にするだけです。 人と人の関わり。 それは普段、この日常のならで創り上げていくモノだと思います。 日常の関わりがあってこそ、祭り(非日常)の関わりが成立すると思うからです。 「イベント」は段取り次第では最高のモノは生まれます。 祭りは、段取り次第でどうにかなるモノではありません。 人間の瞬間的意識の集合体です。 「意識の集合」こそ「カミ」という見解もあります。 つまり、神社(一般的な祭りの動機)がなくても、「祭り」は成立するのです。 「祭り」= イベント。 この誤った認識を打ち消すような「祭り」。 自分達が暮らす街の「祭り」がそういうのになるコトを信じて、来年も頑張ってみるkionax。 「だったら参加したい」 と思うヒト、是非。

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