研究者の才能とは?
大学で科学者として、地球の未来について日々研究をしているかたのブログから引用です。一流の研究者の「長所は短所で、短所は長所」 「ああ、あの研究者ですか。彼は有能です! アメリカの高校でも大学でも A 以外の成績をとったことはないでしょう! そしてプロになっても○○を任せたら右に出る人はいませんな!」 伝説の研究者の先生と話していて、ときどきつらくなってしまうのは、先生とその周囲の一線の研究者たちが、どんなに優秀かという話が、繰り返し出てくるときです。 先生はもちろん、日本で一番有名な国立大学を卒業されていますし、周囲の人たちは、プリンストン、イェール、ハーバードからやってきたり、全米の有名州立大学から、集められたプロ集団です。 過去50年にわたる、武勇伝を何度も繰り返し、楽しそうに先生は語られるのですが、そのなかに登場する人々は、それこそ一流中の一流で、非の打ち所のない学歴の人ばかりです。 そうした人たちが頭をしぼり、知恵を絞って新しい領域を切り開いてきた話を拝聴していると、自分なんて取るに足らない人間なのではないかと、自信がなくなってきてしまうこともしばしばでした。 ところがある日、いつもと同じ先生の昔話が、それこそ今ではどんな教科書にも載っている先生が、共著で書いた有名論文の話になったときのことでした。私が半ばため息まじりで、「この論文の共同研究者の方も、きっと優秀な方だったんですよね」と口にすると、先生は珍しく顔を曇らせました。「いや、彼はなんというのか、頭が良くない部類でしたな!」ええ? いったいどういうことなのでしょう。長所は短所・短所は長所 「彼はねえ、なにをやらせてものろまで、他の人たちがとうにターミナルでプログラミングをしていても、一人だけパンチカードを打っているような、そんな人だったんですよ。 「でも彼はね、他の頭のいい人だったら、『このネタは当てがないな』とさっさと決めつけてしまうようなことでも、いつまでもしつこく考えるという面があったのです。 そして出力したデータが、当時はすべて紙でしたから、紙が黄ばむまで眺め続けていたのです。 「そうしているうちに、彼は私のところにやってきて、『この数年前の結果だけれども、何かあるんじゃないかと思う。論文にしたいから、協力してくれ』と言うわけなんですよ。そうしてできたのが、この論文だったんですな…」 頭が悪いと決めつけておきながら、先生は懐かしそうに語られていました。異なる二つの個性が混じり合い、はじめてこの世紀の大論文が生まれたという、意外な裏話でした。 別の機会に先生は「頭がいい」ということは「悩みがない」ということではない、と強い口調で話しておられたことがありました。 「頭がいい」ということは、複雑な思考や計算をすることは可能かもしれない一方で、その人が直面する研究上の、問題に対する「答え」が手に入るかどうかとはまったく関係がないからです。 「複雑な計算ができる人は、簡単なことをしようとはしません。だからもっと複雑なことで思い悩むんです。でも自然は無限に複雑ですから、どこまで頭がよくてもそれに追いつくことはありません。 しかも時として、答えはもっとも単純な形で、転がっていることもあるのです。『頭がいい』ということは、全ての答えを簡単に手に入れられるというのとは違うのです」 この「頭が悪い」と評された共同研究者は、先生のもっていない思考をテーブルのうえに用意することで、意外なまでに単純な、でも容易には気づかない自然の仕組みを解き明かすことに、成功したのでした。 「こうして考えると、私は一つのことを必死に考えることはできるけれども、別の見方がなかなかできない。彼はいろんなことをバランスして考えることができる、そのかわり、どこかのろまで、なかなか明解な論述ができない。 『長所は短所、短所は長所』なんです。それぞれお互いが自分のもてる全てを出して研究をすれば、短所をカバーし合い、「短所が長所」になるんですよ!」 私を励ましてくれているのかわかりませんが、まるでマクベスにでてくる「fair is foul, foul is fair」というような言葉で、先生は念を押すように私に言い聞かせてくださったのでした。つづきを読むhttp://lifehacking.jp/2008/12/fair-is-foul-and-foul-is-fair/● 秘書のひとこと自分は研究者としての才能がない・・・と悩んでいませんか?元気出してね。常識として知っておきたい世界を変えた天才科学者50人