妊娠発覚から37週までゆうが1歳1ヶ月になったばかりの頃、りぃの存在がわかる。子どもは3人!と思っていたもののまだ歩かない子を抱えて大丈夫なんだろうか?と喜びと同時に不安も大きかった。 本当はもう少し年齢をあけたかったのだけど不妊治療していた身、時期を選べる立場ではないのと私自身の年齢にも限界を感じていた。 周りからはものすごく反対された。 誰がみても裕福ではない我が家。。。苦労するのは目に見えてるので。 でも産む以外の方法は考えられなかった。 11週に入った頃、腹痛と出血があり急遽病院へ向かう・・・ 今まで出血なんてしたことがなかったのでもうダメかも、と泣きながら無事を祈る。 時間外だったためすぐ診てもらえて赤ちゃんは元気だと判明、この時いっそうこの子を守らなければと思った。 今回は里帰りせず、地元の病院で産もうと思って予約までしていたがそれが許されなくなった。 安定期真っ只中なはずのある日、先生からあまりよくない話を聞かされる。 胎盤が子宮口にかかっている、この様子だといつ大出血するかわからない。 それも月数が浅いうちに・・・そのためいつ生まれても良いようにNICU設備の整った大きな病院への転院を余儀なくされる。 紹介状を書いてもらい健診に行ったその足で4歳だったなつと1歳のゆうを連れ、電車を乗り継いで市民病院に行く。 ゆうが入院、手術した病院と同じところ。 初診だったので恐ろしいほど待たされ(4時間以上。。。)やっと出番だと思ったらやっぱり帝王切開しないといけない、と言われる。 それ以前に、いつ大出血するかわからないから安静に、いつでも入院できるよう、子供たちの預け先も確保しておいて、などと言われる。 が、二人の子の預け先もなくいつもと変わりなく暮らしていた。 幸い、出血することもなく手術の際には大量出血するかも知れないからそれに備えて自己血を取るつもりでいたのだけどある健診に行った日のこと、胎盤があがってきてます、これなら自然分娩できそうです、といわれる。 もうどんなに嬉しかったかわからない。。 けど次の健診ではまた現実に戻される。 やっぱり手術が安全だという。 完全にふさがってるわけではないから産めるのは産めると思う、でも出血はものすごくするでしょう、そして止血するために産後すぐに開腹しなければならない、それなら最初から切って出してしまったほうがいいでしょう、と言われそれもそうだなと思いなおす。 そうしている間にも胎児はどんどん成長し、何事もなく37週を迎えた。 手術の日は病院の都合で決められてしまったけどこの日までしっかりお腹にいてくれた。 前日に入院して超音波などの検査をされる。 まだ密かな期待を抱いていたがやはり胎盤の位置はあがっておらず。 軽い張りが何度かきていることがわかり移動は車椅子になる。 翌朝から手術なので前の夜は12時以降は絶食。 眠れないかも、と心配だったので睡眠薬?や精神安定剤のようなものを処方されたが眠れず。 朝、シャワーやシャンプーを済ませいよいよ準備のための点滴がはじまる。 500を4本立て続けに打たれる。 血液など大量に失うため補充(?)しておくのだそうだ。 途中、手術の時間が変更になり(早まった)にわかに慌しくなる。 気付いたら手術台に乗っていた。 麻酔はほとんど痛くなかった。 導尿のほうが痛いくらいだった。 左手には点滴、右手には血圧計、この血圧計が規則的に作動し血圧を測定するのだがこれがやたら痛い。 両足にもマッサージ器?のようなものを付けられ(浮腫防止のためだったか)これも規則的に締まったり緩んだりでとても痛かった。 下半身の感覚はないものだと思っていたけど両足の感覚はしっかりあったし切られているであろう下腹部の感触もあった。 横切りだったのだけど左の太ももをずっと触られているような感覚があった。 手術開始後30分くらいで産声が聞こえる。 涙が止まらなかった。 普通、帝王切開は2時間足らずで終わるらしいがこれからが長く3時間はかかった。 私の場合、胎盤の位置が低かったため、剥がしたあとの止血処理にかなり手間取ったようだった。 出血は羊水とあわせて1300ccとのことだった。 輸血は必要がなかった。 終わる時は先生と会話が弾むくらいだった。 看護婦さん「もうおなかぺったこになりましたよ~」 私「体重かなり増えたので戻さなくちゃ、先生は体重に関しては何も言いませんでしたよね?」 (私、10キロ以上増えたのに) 先生「そう、ボクは体重には厳しくないんだ」 などなど、、、 手術を終え病室に帰ってきたときは両親が待っていてくれた。 役立たずの夫はどこかに行っていたようだ(*`Д´)ノシ 続きを読む もう読みたくないからTOPへ ジャンル別一覧
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