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誰でもそうだと思うのだけど、物心ついた頃から私の周りには音楽があった。
と、言ってもクラシックとかそんな高尚な音楽ではなく、子供の頃はアニメの主題歌やアイドルの歌。一番古い記憶はジュリーの「勝手にしやがれ」だけど。 私はそれらをカセットテープに録って、テープがのびたり絡まったりするまで聴いていた。 で、私には5つ上の兄と3つ上の姉がいる。 小学生低学年・中学年の頃までは周りのアイドルとかの話題についていけた私も高学年に入ったあたりから、だんだん周りと趣味がずれ始めて。 例えば6年生の時、私の友達は原田智代や本田美奈子が好きだった。でも私は姉の影響でバンド物に興味を持ち出していた。でもまだ子供だからアイドルとかも当然好きだった。 だから私が好きだったのはチェッカーズなのだった。でも中森明菜も好きだった。明菜ちゃん、昔は歌上手かったなぁ。 しかし姉から大瀧詠一を録ってもらったのもその頃だった。 そこから私と周りの友達との趣味にだんだん亀裂が生じはじめ…中学の頃には完璧に時代に乗り切れなくなった。 中学の頃、周りはチューブやBOOWY、レベッカなどが流行っていた様な…。C-C-Bとかも。(田舎の中学だからさぁ)TMもその頃かな? アイドルでは光GENJIとかふざけた奴らが出てきたばっかりの頃かなぁ。その頃のアイドルってもう記憶が定かではないのだけど…。 そんな中、私はアルフィーに一人はまっていた。(チェッカーズはその頃飽きていた) ホント、私の年代ってあの頃アルフィー人口少なかった!今でも少ない事には変わりないけど。 姉の影響でね。当時は今よりも王子してた高見沢氏に騙されていたなぁ。まさかあんなうっかりさんだとは…。(遠い目) 当然、見る番組とかも周りについてけない。 周りがアイドル番組とか見てる中、私は夜のヒットスタジオDXとかを見ていた。 高校に入って何とか周りの話題についていこうと努力はしてみてレベッカとかTMとか聴いては見たけど、またチェッカーズを再度聴いてみたりもしたが、当時流行りだしたB'ZやX…その他ビジュアル系にはその頃まったくついていけず、やっぱり私はアルフィー一筋で行こう!と頑なな決心をしたものだった。しかもまたもやこの時期に姉にジョージ・マイケルやシャーデーを聴かされる。チャーリー・セクストンは中学の頃だったなぁ。(だって他にあまり魅力を感じなかったんだもん) その後、レベッカは残ったが、他は残らなかったなぁ。ドリカムも私の中では消えたし。あ、松岡英明が残ってるや。 高校を出て、色んなビジュアル系を聴くようになるけど…とは言ってもX、LUNA SEA、GLAY程度だけど。 でも高校を出てからの私の音楽の趣味は段々マニアック性を帯びていったようだ。 高校の頃から聴いていた深夜放送、当時FM東京(TOKYO FMではなかった)でアルフィーの坂崎氏がやっていた「坂崎幸之助のNORUSORU」という番組でかかるジョン・レノンを始めとした昔の洋楽にどんどん傾倒していった。(その頃はまだ日本のフォークに目覚めていなかった)サイモン&ガーファンクルをちゃんと聴いたのもこの番組からだった。 そしてますます周りの話題からはそれていき、結果、自分よりも一回りも二回りも上の年代と話が合ってしまうというような会社時代を過ごす。 昔の映画の話題を聞いたのもこの頃だったなぁ。 そして何年前だろう…もう5~6年位になるのかなぁ…。坂崎氏のラジオが「NACK5」にやってきて、そこから少しずつ日本のフォークに惹かれてきたんだよなぁ。(もうこの頃になると周りの話題についていこうとすら思わなくなった) 思えば何かの紀行番組を見てアイルランドやその他の民俗音楽に興味を持ち始めたのもこの頃だなぁ。 90年代の音楽よりも60年、70年代の音楽の方が好きになってきたのである。URCとか。 思えば、前はまったく興味のなかったジョージ・ハリソンを聞くようになったのもこの番組からである。 だからと言って坂崎氏の好きな音楽が全部好きなわけではないのだけど。 *坂崎氏のマニア性についていくには修行が必要である* でも私の古い音楽のルーツは坂崎氏の影響が強い事は確かである。 そして私は昔から音楽をずーっと聞いていたのでどこに行くにも音楽がないと落ち着かない。けど、街中やCD屋とかであゆとかかかってると腹が立つのね。嫌いだから。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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