杜甫世紀晩唐の詩人で、「詩聖」と呼ばれた杜甫は戦争の悲惨さを庶民の側から歌っている詩が多いのです。“国破れて山河在り・・”で始まる「春望」はよく知られています。 国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり 家書万金(ばんきん)に抵(あた)る 白頭掻けば更に短く 渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんとす。 又、「絶句」と呼ばれる次の様な詩もあります。 江碧(みどり)にして鳥いよいよ白く 山青くして花燃えんと欲す。 今春、看(みすみす)又過ぐ 何れの日か 是帰年ならん “長江も山も今を盛りの春を迎えている。それをじっと見つめる我が目前を、今年も又無駄の様に過ぎて行く。何時、かねての望みである故郷に帰る日が来るのであろうか?” 杜甫は洛陽に近い由緒ある名家に生まれました。それを誇りとして家名を上げようとした彼は14才にしてひとかどの詩人と認められる様になりました。 その後、20年程何回か国家試験を受けるのですが、何れも落選し、仕官による家名の維持に失敗してしまいます。 仕方なく書生生活を10年に渡って、せざるを得なくなるのです。しかし、有名な「安禄山の乱」に巻き込まれ反乱軍の捕虜となり、長安で監禁されてしまうのです。 乱平定後、新皇帝の下で漸く仕官の望みが叶うのですが僅か1年で左遷の憂き目に遭遇してしまいます。 運悪く、飢饉が到来して左遷された俸給では暮らすことが出来ず、職を捨て各地を転々として彷徨い10年間を悲しみの限りを嘗め尽くします。 報われること無く、59才で湖南の舟上で病没したと言われています。 |