2004/03/16(火)17:41
侏儒(しゅじゅ)の言葉-芥川龍之介
菊池寛も到底敵わないと舌を巻いた、芥川龍之介は短編の名手。
理知的な配慮による名文が見事に成功しているのは、1927年に自殺する直前迄、書き貯められたこの小編かも知れません。
社会の因習と、それに囚われた人々の愚かさを、一頭高い位置から、辛辣に且つ愉快に綴っているこの箴言集は芥川文学の代表作だと思っています。
修身
道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。
強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者は又道徳に愛撫されるだろう。道徳の損害を受けるものは常に強弱の中間者である。
道徳は常に古着である。
一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。
我々の悲劇は年少のため、或いは訓練の足りないため、未だ良心を捉え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。
我々の喜劇は年少のため、或いは訓練の足りないため、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。
良心とは厳粛なる趣味である。
良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造ったことは無い。
やはり、国家による押しつけの道徳教育訓練では良心は醸成出来ない様で、人間と人間とが心に通い合いでお互いに造り上げて行くものだと思います。
天才の項も示唆に富んだ箴言になっていて、折に触れ読み直す価値があると思い再読しました。
天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。
同時代はその為に天才を殺した。後代はその為に天才の前に香を焚いている。
天才芥川は自分の限界と自殺しなければならなかった宿命を予感していたのでしょうか?