カテゴリ:Overseas Europe
昨年の年賀状整理をしていました時、葉書箱の中からトリノの絵葉書が見つかりました。偶然見つけるのですが、懐かしいものです。
トリノ市を訪問したのは1991年3月、モダーヌ駅からの日帰り旅行でした。モダーヌ駅を出るとすぐ列車はトンネルに入りますが、このトンネルの丁度真ん中がフランスとイタリアの国境らしく、国境警備の警察官が乗り込んで来てパスポートを検査、入国スタンプを押してくれました。トリノ迄は約1時間で着くことが出来ました。 トリノ市は人口約90万人、ローマ、ミラノ、ナポリに次ぐ人口第4位の都市です。紀元前にローマ帝国の北方防備と交通の要衝都市として開かれ、15世紀にはフランス・サヴォア公国の一部となり、16世紀にはサヴォア公国の首都ともなりました。その後1861年イタリア統一がなされました時には、イタリア王国の首都であった様です。 アルプス山に近いトリノでは、豊富な水力発電により、工業都市としても発展し、イタリアを代表する自動車メーカー「フィアット」の本拠地としても知られています。 ポルタヌオヴァ駅で市内地図を買い、駅を出て地図を頼りに広いローマ大通りを散策してカステッロ広場迄行きました。 途中道路に面した石・コンクリート壁には第二次世界大戦の弾痕が生々しく残されたままでした。カステッロ広場の真中に立つマダーマ宮殿(Palazzo Madama:女性主人が多かったことが命名の由来の様でした)を見たのは良いのですが、後はガイドブックも無いので地理不案内、通行人数人に観光名所を訪ねて見たのですが、英語は通じず、イタリア語又はドイツ語で話せないかと言うのでした。 仕方なく裏の小径を戻りながら市中散策をして、道沿いにあった小さなレストランで昼食にスパゲッティを食べて出て来ますと、どうも何処にいるのか分からなくなりました。そこで持っていた地図に現在地を丸で印を貰った所、通りが2~3路違いましたが、駅は直ぐそばで安心した覚えがあります。 現地語は片言でも良いから話せると言うことが、道不案内で散策するのには必要だと痛感、兎に角トリノ駅に無事到着し、夕刻モダーヌ・オーソアに戻ることが出来ました。 僅か4時間程の訪問で、地理不案内で不安であったこともあり、写真を撮る余裕も無く、散歩途中で買った絵葉書が残っているだけです。 ![]() 年賀状整理をしていました時、葉書箱の中から思いもよらず見つかったものです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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