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テーマ:政治について(22238)
カテゴリ:Politics
私には彼を論じる資格はないのですが、昨日自宅近くの恵泉女学園に散歩に行って、帰宅後、恵泉女学園のインターネットWebサイトを見ていましたら、最首氏が元教授として記載されていましたので、懐かしく思い出したのです。
1960年東大入学時の新入生オリエンテーションに1年先輩として、磯田助教授と共に色々な助言をしてくれた人であり、伝説の俊才と言う噂もありました。 その後接触も無かったのですが、朝日ジャーナル誌で「ノンセクト・ラジカルと言われようと」との論文を発表し、直接民主主義の活動形態を自分の生き様として主張していることに尊敬の念を抱いたと言う程度に過ぎません。 反権力の身体をはる全共闘運動派の街頭活動家で、政治的には直接民主主義をめざし、マルクス主義に対する理解はなかったとの位置付けである。 1936年福島県に生まれ、1959年東京大学理科1類入学と共に、1960年安保闘争の大きな渦の中にいた。同年三池闘争にも参加、セクトNO.6(反権力・反秩序・反前衛組織論を掲げた集団)に関わった。 1967年同大学院動物科博士課程中退。同年、大学教養学部生物教室助手となったが、そうした社会問題への関与から、大学当局に嫌われて教授になることもなく、27年間助手を務めたまま、1994年定年退職した。その後、恵泉女学園大学教授、予備校の講師を歴任。 星子さんと言う娘さんがいて、彼女はダウン症であったことから、障害者問題へも深く関わって来た。横浜では「カプカプ」という共同作業所の運営にも関わり、東京に彼を囲む「最首塾」という会がある。 彼は同期入学の西部邁(1939年生まれ、1960年当時全学連駒場委員長)以上に、組織よりも正義を重んずる人でありました。 私の記憶に残るのは熱血の青年でしかありませんが、ネットで近況の写真を拝見しますと、すっかり白髪となっているものの青年時の意気は軒昂の様でした。 「光陰矢の如し」とも言われ、人生は至って短いのかも知れませんが、不遇にもめげず生き様を貫いての今後の活躍を望んでやみません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.22 14:40:31
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