結婚は1970年3月26日東大構内にある学士会館別館で、別れは2009年10月26日に川崎市多摩病院にて逝去となりました。
子供の誕生や子育てには愛情を注いでくれた連れ合いで感謝するばかりです。
妊娠中に風邪をひいても風邪薬を服用しませんでしたので、理由を聞きますと薬で胎児に影響が無い様に薬は服用しないと言うのでした。
その後の子育ては任せきりで、健康を維持できる様に水泳教室に通わせましたし、幼稚園は冬でも半袖で過ごさせる処に通わせ、送り迎えして無事を確認、その後の小学校での授業参観も欠かさなかったのです。
米国滞在中は、英語知識が何も無い子供達には、学校の教師に別途の授業外の家庭教育を依頼、何とかキャッチアップに紛争してくれて、現地小学校への不登校にならない様に気配りしてくれたのです。
帰国後の小学校、中学校、高校、大学での入学や卒業式には必ず出席してくれました。
今では、夫婦同席と言うのが常識の様ですが、1960年代は企業戦士の時代、「夫は働きに外に、妻は家庭を守る」が常識と思われていたので、見事に乗り切ってくれたのです。
お陰様で、子供も親に対する反抗期もなく、他人に対しても優しい性格の人間になってくれたのでした。
1981年8月、米国滞在中1年を経過して漸く現地学校にも慣れましたので、遠路カナダへ家族旅行に行った時の写真、家内38才、長男10才、次男8才、長男は未だ少し過ごし方に不安が残っていた時代でしたが、優しく抱えて自信をつけさせていた様なのです。