2024/10/18(金)17:28
多情多感な俳優西田敏行さん逝去
人情味のある役柄で楽しませてくれました俳優の西田敏行氏が逝去となりました。
心臓に持病があった76年の生涯でしたが、充実した人生だった様に思われます。
ウィキペディア(Wikipedia)では、次の様に記載されています。
1947年、福島県郡山市に生を受けましたが、幼くして父が亡くなり、母は5才の時に再婚し、伯母・美代夫婦の西田家に引き取られた。養父は郡山市役所に勤めていたが生活は厳しく、家族は神社の社務所に住んでいた。
中学校に入り、演劇に興味を持つが女性部員ばかりで、演劇が好きでも福島弁でしか演じられない現状に自問し、標準語を習得したいと、中学卒業とともに上京した。
高校に進学すると、偶々演劇部の女子部員から、男役として部に協力してほしいと請われ、顧問のような形で演劇部に参加する。
1966年、明治大学入学と同時に日本演技アカデミー夜間部に入る。翌年卒業。
1968年、青年座俳優養成所に入り、青年座座員となる。1976年にレギュラー出演した『いごこち満点』と『三男三女婿一匹』で注目を集め、森繁久彌のアドリブにも渡り合う硬軟自在で個性的な演技と、愛嬌のある顔立ちや体型で人気を獲得した。
1980年には『池中玄太80キロ』と『サンキュー先生』で主演を務め、翌1981年にもNHK大河ドラマ『おんな太閤記』で準主役を務めるなど、連続ドラマに出演した。
1988年から映画『釣りバカ日誌』シリーズに出演した。三國連太郎とのコンビで、最終の第20作まで約22年に及ぶ長期シリーズとなり、代表作となった。
2009年、日本俳優連合理事長に就任、俳優の地位向上・権利問題にも取り組む。
2010年3月、『釣りバカ日誌』シリーズで、日本映画界への功績を讃えられ、三國連太郎と共に第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞した。
2018年(平成30年)4月の春の叙勲で旭日小綬章を受章した。
2024年10月17日、東京都世田谷区の自宅でベッドで冷たくなっているところを発見され、死亡確認。享年76才でした。