不本意ながらも、米国駐在を命じられましたのは1978年7月、その意図は航空転用型ガスタービンIM5000を販売して来いと言うのでした。期間は5年間、家族帯同で頑張れと業務命令でした。
1979年9月単身でテキサス州ヒュースト市にて赴任、1980年2月に家族を迎える為の住居を探しました処、郊外で治安の良いSpring Branchが良いと他の日本人駐在に聞きましたら妥当とのことで、日本人駐在員家族も多くはその地区に暮らしていると様でした。
選んだ住居のレンタル契約をし、最低限の家具なども調達して、1980年2月に家族をサンフランシスコ空港にて迎え、空路ヒュースト市に戻り、住居に案内することが出来ました。

其処には、1983年帰国命令が発令される迄住み続けましたし、子供達は決められた公立小学校に入学、週末土曜日は日本人補習学校で国語・算数等を学んだのでした。
私は技術展示会等に参加して、IM5000ガスタービンの優秀さを宣伝しました。

すると、これを販売させて欲しいとの現地協力社も得ることが出来まして、帰国までに複数台の受注に成功したのです。
少なくとも、業務命令の一端は果たしたとして、帰国することになりましたので折角ですからヨーロッパ周りで帰国することにしたのでした。
駐在先からは1週間以内に帰国すれば良いことになっていたからなのでした。
大変でしたが、海外生活も体験出来て良い駐在経験となったのでした。