1964年にIHIに東大航空原動機コースから私を含めて2人入社、同期生は遷音速圧縮機開発に関わりたいと、航空本部に所属、私はスイス社Brown Boveri社との定置型ガスタービン開発が進みつつあった原動機本部ガスタービン設計部に所属することになりました。
当時の社長、土光敏夫氏が石川島芝浦タービンでガスタービン開発に従事したこともあって、定置型新型ガスタービン開発に期待を寄せていて、優秀な人材を設計部に集めていたのです。
部長は防衛庁三研から招聘、課長は内燃機設計部から移籍、主任は東大卒の元海軍技術将校で技術的に非常に優秀な技術者で、一般の設計者がBrown Boveri社の多くの独語資料を殆ど和訳もしてくれたのです。技術知識習得に有意義な資料であったのです。
設計部全体での部員の協力体制を密にするべく、全員で千葉県養老渓谷にトレッキングに出掛けました。
部長が東大卒、課長が九大、主任が東大、係長は技術習得の為Brown Boveri社に長期期出張でいませんが、1959年入社が東大工学部機械科、1961年入社も機械科と航空学科、1962年入社も東大機械科、1963年が鹿児島大と横浜国大、1964年が私東大、同輩が名古屋大、1965年は翌年となりますがやはり東大航空学科でした。
IHIは技術系社長が君臨しており、次期社長はこの東大含むガスタービン設計部から出るのではないかと噂されていたのでした。