大曾の教会-隠れキリシタンが建立
五島には、江戸時代から続く切支丹弾圧を怖れ、多くの切支丹民は長崎外海地区から五島列島に逃れて行ったとされています。当時の五島列島は住民が少なく、農地等の地域開発に出来るだけ必要だったことから、迫害されることが少なく、処々に隔離した切支丹部落として居住することが出来ました。そんな中、中通島の青方港付近に位置する高台に大曾集落には禁教令が廃止された後に教会堂が建てられたのです。この画像は私の拙い油彩です!大曾で最初に教会が設立されたのは1879年である。煉瓦造の教会堂は大崎八重神父が計画し、鉄川与助により1916年に竣工した。初代の木造教会堂は現教会堂の新築に際して解体移築され、土井ノ浦教会堂として現存する。教会堂は五島列島北部の中通島の西岸、青方港の付近に位置する大曾集落の港入口の高台に立地し、相河郷や今里郷からも教会堂を望むことができる。外観はイギリス積みの煉瓦造で、身廊部が高い重層屋根の構成とし、桟瓦葺とする。正面の鐘塔は前方へ大きく突出し、頂部には8角形平面のドームを架して金属板葺とする。小口積みの基礎部分、煉瓦の凹凸による装飾、および11段おきに3段煉瓦の水平帯を周壁に廻らして、壁面の装飾化を図っている。