如 月
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縄文の風とも思ひ青田風 まみよときどき縄文時代に生きていたのではないか弥生時代に生きていたのではないかと天気の良い静かなこーひには思うことがあります ジュラ紀より吹いて来るか青田風 碧雲
2020/09/22
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麦秋やこの空の果て自爆テロ まみよ日本は平和であるしかし世界各地ではまだ自爆テロが発生する洗脳や教育は恐ろしいものと思います 麦秋や手元へ寄せる辞書ひとつ 碧雲
2020/09/01
若葉の天縄文杉の羅漢めく まみよ縄文杉はどれひとつ同じ形をしたものはないのでしょうそれをそれぞれ顔の異なる羅漢に見られたという観察力はすごいものです 若葉して空気の色のかはりけり 碧雲
2020/07/14
雪のこる林や橅の影に影 まみよ雪が降っていたのが残って太陽が差してきた橅に影ができているがもう一つの影は作者の影でしょうか女性らしい細やかな句ですね 雪のこるふたりで歩む遊歩道 碧雲
2020/07/10
ももいろの豚春泥を食みにけり まみよむかしは農家で豚を飼っていた土を食べているのか餌を食べているのかわからないような動作をよくしていましたね作者はその光景を春泥を食むという行為だと思われたのでしょう昔懐かしい光景です春泥や噂をすればやつてきし 碧雲
2020/07/09
春泥を踏めば古代の音すなり まみよ春泥を踏めば泥がついて嫌でしょうが この作者は古代に夢を飛ばしておられるこのような感じで俳句と関われば俳句自体が生活の中で生き生きとしたものになるのでしょうね 春泥を飛び越しかねて生きてをり 碧雲
2020/07/07
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二千年前の落書陽炎へる まみよ落書きはいつの時代にもあったのでしょうねそれが文化財や国宝にされると困りものですが戦時中「足らぬ足らぬ工夫がが足らぬ」という戦意高揚の看板の行に✖がしてあったり「贅沢は敵だ」という看板の敵の前に素の字がか落書きされていたとかこのようなものは素敵ですね だだ座して阿波の大仏陽炎へる 碧雲
2020/07/06
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コロラドの月よ砂漠の春寒し まみよ異郷で見る月はなおさら感慨深いことは 阿倍仲麻呂を待つまでもないであろう月の砂漠の歌詞を思い出すような句であるが砂漠を吹きすさぶ風はあのような情緒があることはないといわれる作者が行かれた時も春とは言えど寒かったのである 宿坊ははや夕月て春寒し 碧雲
2020/07/03
モービルハウス砂漠の移動草萌ゆる まみよグランドキャニオンでの吟行句であると聞く行ったことも無いが国立公園であるので景色はいいところだろうここを車輪がついた家もろとも移動するのであるその窓から外を見ると草が萌えているのである国は違えど草が萌える状況は同じである 草草に埋もれし羅漢下萌ゆる 碧雲
2020/07/02
春光や地球の裂け目一哩 まみよ一哩といから1.6キロであるそれだけの裂け目に春のひかりが入り組んでいるというこれもスケールの大きい俳句である外国での吟行句と思われる余談であるが数年前に自家用車で白川合掌へ行ったあの手前に長いトンネルがある11キロということであったがあの経験で大体の巨漢は掴むことができた 春光を集めて愛車停めにけり 碧雲
2020/06/30
うらうらと放牧千里羊散る まみよ外国での吟行句であろうか千里とかいう数の大きさは俳句ではよく使う手法であろうか大きな牧場で遥か彼方は見えないところにうらうらとした気分があるそこで飼われているのが牛ではなく羊だというところにまた春の気配が感じられる うらうらと太陽西へ西へ行く 碧雲
2020/06/29
春の闇太古の星か土ボタル まみよジュラ紀とか縄文とかの句は散見するが太古と言い切るところにこの作家の醍醐味があるしかも星という 女性特有の感性であろうジュラ紀とかシルル紀とかいう俳句も見てみたい ジュラ紀より続いてゐるか春の闇 碧雲
2020/06/28
囀りや稲荷の森を奪ひ合ひ まみよ囀りが季語で春である小鳥たちが稲荷の森に来て我が物顔で囀っている稲荷の森は小鳥たちのものでもあって人間だけのものではないということを教えてくれるような俳句である 囀りの犇めきあいて森の奥 碧雲
2020/06/25
吊橋の揺るるにまかせ鳥交る まみよ鳥交るは春の季語である春から初夏にかけて鳥は美しい声で囀ったり、強く羽搏いたりして様々な求愛行動をする。繁殖期を迎えたのである。雄鳥が雌鳥を誘う姿はとても愛らしく春の訪れを感じさせる。作者は雄鳥が吊橋のゆれるがままに止まっていて雌鳥を誘っているところを見事捕らえられている俳句は一瞬を切り取る文学でもある 大空に雲遊ばせて鳥交る 碧雲
2020/06/24
ふるさとの空奔放に鳥の恋 まみよ鳥の恋を俳句にするとはやはり女性作者である性格そのものの優しさがにじみ出ていると思われる句である 特に奔放がよい 大空にひかりを放ち鳥の恋 碧雲
2020/06/23
こうなごの万の眼を啜りこむ まみよ小女子がゐ銭で禁漁になってから5年目である英虞湾の真珠貝も不良品が続いているというニュースもあるどこかで何かがくるっている一番心配なのは地震だ南海トラフ巨大地震は必ず来る こうなごの不漁は何をもたらすか 碧雲
2020/06/21
苗木市只で貰へる列につき まみよ俳句は即興でありユーモアであるといったのは山本健吉である作者はいたって真面目であるが時として突拍子もない俳句を作られる俳諧のおもしろみ 軽さを出しておられるのだこの句も只で貰える列につきという措辞がいい撫でまはし買はずに帰る苗木市 碧雲
2020/06/20
春惜しむ別るるときの大きな手 まみよゆく春を近江の人と惜しみけり 芭蕉の俳句から 春惜しむ=別れ=切ない という図式が成立している俳句が何万とあるしかしこれは下5で大きな手とこの図式を成立させていない さすがである 春惜しむ下り列車の最終便 碧雲
2020/06/19
みちのくの桜の孤独失語症 まみよみちのくへの吟行句である 桜が孤独であるのはわかるが 失語症も桜にかかる言葉だろうかそれとも孤独で切りがあり失語症は別物の二章一句の句であるか? にこにこと桜笑ふてゐたりけり 碧雲
2020/06/18
光ふぶくやうに桜の吹雪くかな まみよ普通なら桜吹雪がひかりのように吹雪いているというのをあえて光が吹雪いているようだという表現で表した 作者らしい発想である ふたりして桜吹雪のひかる中 碧雲
2020/06/17
花冷えや魚のうろこ飛び散らし まみよいわゆる台所俳句である 一時女性の俳句進出が嫌われた 明治初期の頃であるまだ女性の社会的進出が盛んでなかったころ女性作家はよく家の中のことを俳句にしたそれが台所俳句と嫌われたのであるが虚子が星野立子を中心に女性俳句の進出を認めたために今の隆盛になった 花冷えや無観客なる大相撲 碧雲
2020/06/16
ともすれば何か失ふ花のころ まみよ春は眠くなる。猫はネズミを捕ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀(ひばり)の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀のなくのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれ程元気のあるものはない。ああ愉快だ。・・・夏目漱石「草枕」とあるともすれば何か忘れる春である 失せ物を探す気もせず花のころ 碧雲
2020/06/14
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花雪洞夜の雫が来てゐたり まみよ津市に藤堂家の別荘地であった偕楽公園がある春になると桜でにぎわう一度車で通り抜けをしょうとして普通なら2分もかからない処を1時間30分かかったことがあった平日でもこれだけにぎわうのであるが今年はコロナ騒ぎでほとんどいなかっただろう夜の雫の措辞が絶妙である 花雪洞祇園小路の石畳 碧雲
2020/06/13
桃の花光ほどけて来たりけり まみよ桃の花の咲くころのひかりはまだまだよわい それがだんだんと時間がたつにつれてひかりがほどけて暖かさが出てくる そこを光ほどけてという措辞でまとめ上げている 桃の花柱時計の三時うつ 碧雲
2020/06/05
五百羅漢春日殺到してゐたり まみよずらっと五百羅漢が並んでいる そこに集中して春の日差しが注いでいる殺到してゐたりという措辞がすばらしくいい ジュラ紀よりどつと寄せくる春日かな 碧雲
2020/06/03
可惜夜の異国めめきたる雪解宿 まみよ可惜夜とは惜しむべき夜のことで旅行などに行くとこのまま時間が止まってくれればよいと思うときがあるそんな感激も忘れかけていたが今回のコロナ騒ぎで旅行に行けないとなればまた新たな感激が生まれ可惜夜を望むばかりだ先日も書いたが長野以北 四国 九州は異国めいている 多分長野以北での吟行句であろう 可惜夜や宿坊にある雪解音 碧雲
2020/06/02
登るほど谺となりし雪解音 まみよ雪解の音はこの地方ではほとんど聞かない私が聞いたのは上高地への旅行の時であった三重県から北へは長野より北南は四国 九州が別天地であるまみよさんが聞かれたのはどこの時の吟行かは知らないが谺となって聞こえてきたのだ遠嶺の雪解の音や寺内町 碧雲
2020/06/01
ぬかるみを跳んで春光つきぬける まみよ春泥はどろどろしたものであるが このようにきれいに纏められると ぬかるみも悪くはない 五臓まで春光浴びて生きかへる 碧雲
2020/05/31
間紙のふはとひひなの息洩るる まみよ雛飾りの場面か 雛納めの場面か どちらにしろ 雛を包んでいる間紙がふあつとなったそれが漏れた雛の息だという女性らしい句である 奥の間にひひなざわめく闇の中 碧雲
2020/05/30
桃の日の塩焼く匂ひやはらかし まみよ塩焼きの現場を見てきた時の吟行句かそれとも桃の日の料理の時の一場面かどちらにしても桃の日と塩の焼いた匂いとやわらかいという措辞がいい 桃の日の赤子寝てをり部屋の隅 碧雲
2020/05/28
白魚の目に人の目の集中す まみよそのうちに白魚も食べれなくなるだろうそれぐらい生態系が変わってきたゐる生態系を乱すのは人間であるそのうち自然からしっぺ返しが来るだろう大地震に気をつけなければいけない白魚の万の眼が睨みをり 碧雲
2020/05/20
船長が船で焼きだす蛍烏賊 まみよ蛍烏賊の漁を船で見学させるツアーであろうか漁がすんだところで船長が蛍烏賊を焼きだしたのである香ばしい香りが匂ってくる句である暗闇に風動きたる蛍烏賊 碧雲
2020/05/19
漁師の手光まみれや蛍烏賊 まみよ捕らえられて怒りのひかりを発しているのであろうか蛍烏賊を持っている漁師の手が光まみれになっているのであるただこれだけの句であるがそこに幻想的な世界が広がっている網上げて風入れ替はる蛍烏賊 碧雲
2020/05/18
火屋磨くらんぷの宿や忘れ雪 まみよほやとはランプのガラスの筒のことである ランプの宿にはいくつものランプがあるそれを毎日使い終われば磨くのである寒い手に4息を吹きかけながらランプのほやを磨いているそとはまだ雪が残っているはるかなる鈴鹿峠の忘れ雪 碧雲
2020/05/17
犇めけるかもめの嘴に蛍烏賊 まみよ蛍烏賊は晩春の季語である昔は肥料としていたが冷凍が効く昨今は食料とされる作者はこの漁を船上で見物していたのであろう多くのかもめが蛍烏賊をくちばしに加えている光景である犇めけるで思い出すのはある句会で主宰が「犇めきて枝といふ枝小鳥くる」と出されていたわたしはその時「犇めきて枝といふ枝桜咲く」というのを出して類想はこんな小さな句会でも発生するのだと感じたことがあった捕らえられ怒りのひかり蛍烏賊 碧雲
2020/05/16
糸遊のひかりの糸を潜りけり まみよ糸遊とはかげろうのことである春の天気の良い日靄のような感じのかげろうがあらわれるそれがひかりの糸をくぐっているというひかりの作家の面目躍如の句である糸遊の遊びし寺にあそびけり 碧雲
2020/05/13
翻る宙の光体雀の子 まみよ雀の子が春風に乗って翻っている それはまるで宇宙の光体である春ののどかな風景の一場面を切り取った句である一茶の世界である飛んできてすたすたありく雀の子 碧雲
2020/05/12
うららかやこはさぬやうに光抱く まみよ春のひかりはこわれやすいほど出来立てであるこれがだんだん強くなってゆき夏になる作者はその出来立てのひかりをこわさないようにやさしくしかもしっかりと抱いているのであるうららかや農家の土間に椅子二脚 碧雲
2020/05/11
松園の受け唇の艶おぼろの夜 まみよ朧夜の甘いシーンである映画の一場面である昔の恋であろう?手を握る軽く握りておぼろの夜 碧雲
2020/05/10
白椿昔むかしの恋なりき まみよ恋シリーズ一句目である初恋か それも昔になってしまった あの時も道のべには椿が咲いていた白椿ひと恋初めし頃のこと 碧雲
2020/05/09
かな文字の消え入りさうに春の雪 まみよ春の雪はひとつひとつがかな文字のようであるそれがちらちらと舞い降りてきてひとつづ消えてゆくようである山裾にひかり残して春の雪 碧雲
2020/05/08
うすらいの風のしわしわ光り合ふ まみよもうすぐ春である うすらいにも風が来てそれが光り合っているきれいな世界であるうすらいの鋭く光る盥かな 碧雲
2020/05/07
野のひかりどこも声あげ雪のひま まみよ光シリーズである小さな恋とかひかりとか好きな作家であるこれから恋の句もたびたびお目にかかる野に降りて静かに雪のひかりけり 碧雲野の
2020/05/06
ものの芽の光撒きたるごと生まる まみよはるになるとあちこちのものの芽が生まれてくる作者はただ生まれてくるのではなく光をまとって生まれてくると感じ取っている釈迦もキリストも生まれたときは光はまとっていたとは言われていない光を撒き散らして生まれてきたのはかぐや姫であったものの芽や光の粒のふりそそぐ 碧雲
2020/05/05
光ごと波ごとひろふ桜貝 まみよ津市には阿漕浦海岸 御殿場海水浴場という海の名所がある伊勢湾は弓状に湾曲しておりその弧の中央に津市がある光ごと波ごと貝を拾うという壮大な句である作者は同じ津市でも山のほうの生まれである幼いころから海へのあこがれはあったであろう光きりひとつ残りし桜貝 碧雲
2020/05/04
四次元の窓開きだして春立ちぬ まみよ「園」「虹」の俳句結社の主宰であるわたしはこの2つに所属しているが元気なおばさんである園の師系統は臼田亜郎から大野林火になり稲垣法城子が園を開かれそこから石河義介になり今の村田まみよさんが主宰をされている 園自体は45年であるが105年目になる 現在は150人ぐらいが全国に会員がいるこの人がことし『句集 宇宙のランプ』を上梓された この本に沿ってしばらくブログをアップしたい未来への窓を開きて春の立つ 碧雲
2020/05/02
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海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめのどには死なじという作者不詳の歌がある ある句会で90歳の人が「海行かば由々」という句を出して戦後生まれの多いみんなはぽかんとしていたするとあるおばあさんが「海行かば」と歌いだしたこの句を作った90歳のおじいさんも歌いだした 90と思えない美声であり拍手喝采であった句より歌に人気が集まったこのさいごの「のど」には古歌からのんびりと死なないという意味であると山本健吉氏は言っているつひと来て古墳にひとりのどかかな 碧雲
2020/05/01
風吹けばお玉杓子もあわただし 池内たけし風が吹けば桶屋が儲かるという話も舗装道路になってから通じない話になった昔の道で風が吹けば埃が撒いたちそれが目に入って目の不自由な人が多くなるそうすると三味線引きが多くなり三味線に猫の皮を使うので猫が少なくなり猫が少なくなれば鼠が増え鼠が増えれば桶をかじるだから風が吹けば桶屋が儲かる風吹けば桶屋が儲け蛙の子 碧雲
2020/04/30
乗り継いで乗り継いで来し町おぼろ 黒川悦子作者は内藤鳴雪の研究で博士号をとった人である俳句を俳句ユネスコ登録推進協議会をつくってユネスコに登録してもらおうと活動されている人である交差する連絡船や海おぼろ 碧雲
2020/04/29
入りあひのかねもきこへずはるのくれ 芭蕉春の暮 秋の暮というのは古来から用いられてきたが一日の終わりか季節の末かで迷うところであるが秋の暮は両方に用いられたそれに対して春の暮は季節の暮のみであったやまあいの恋しき人や春の暮 碧雲
2020/04/28