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カテゴリ:学校・教育
キリスト教はイエス・キリストが作ったと思われがちですが、イエスはもともと信仰深いユダヤ教信者でした。
イエスが30歳の時、神からの啓示をうけます。すなわち預言者です。そして今まで信じていたユダヤ教において「ユダヤの民だけが救われる」や「厳しい律法を重んじる」という教えに違和感をもち、さらに神の声を聞いたところから、「神は信じる者すべてを救うのだ」「戒律を守ることではなく信仰によってのみ救われるのだ」と説いたのです。 イエス自身はユダヤ教のおかしなところを直したかっただけ。自身から「はい!キリスト教立ち上げます」と言ったわけではありません。このキリスト教の誕生は、イエスの昇天後(イエスの復活後40日目)、弟子たちによってイエスの言行録がまとめられイエス自身を神と同様に扱ったところから発展していきました。 このイエスと神と精霊が三位一体であり、その教えこそが神への信仰だとしたところから、神との新しい契約が生まれ「新約聖書(全27巻)」と呼ぶようになったのです。 だからキリスト教の教え自体は旧約聖書と新約聖書からなります。ただ当時の人々は、ローマ帝国の厳しい圧力やユダヤ教司祭たちからの締め付けから、この状態を打破し解放してくれる人(救世主)を求めていました。イエスはこの救世主だと思われていたのです。しかしイエス自身は、信仰の根本的な心の改革をしたかっただけで、ユダヤの王になり国の体制を変えようとは思っていたわけではなかったのです。 しかしながらユダヤ教徒の司祭たちからすれば、イエスの教えになびく人々が増え、ユダヤ教存続の危機に追い詰められます。そこで「イエスは、ユダヤの王になって国を奪う者」というレッテルから磔刑にするのです。当時の磔刑は政治犯(反逆罪)だけの特別刑です。 有名なイエスの磔された十字架の画がありますが、この十字架の上には「INRI」と罪状が書かれているのです。これはラテン語「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」(ユダヤの王、ナザレのイエス)の頭文字を表しています。 ちなみにナザレとは、イエスの生まれたナザレ地方のことを指します。 さてレオナルド・ダ・ビンチ「最後の晩餐」でも有名ですが、イエスは処刑される前日に弟子たちを集めて処刑の予告や裏切り者を明らかにします。次の日(処刑日)は金曜日。朝から磔にされ夕刻命を落とします。そのまま仮の墓に安置されます。当時のお墓は石造りの頑丈な洞窟のようなものです。入り口は大きな石扉で固定され容易に動かせるものではありませんでした。次の土曜日はユダヤ教の安息日でお墓には誰も近づきません。そして日曜日、母親のマリアが幾人かとお墓を訪れると、石の扉が開かれ遺体がなかったのです。その直後からいろいろなところで「イエスに会った」という声が届きます。弟子たちは処刑前夜に復活を伝えられていたので「イエスの復活だ!」と口々に言います。処刑から3日後にイエスは復活したのです。これが神の証拠だとキリスト教信者は言います。その後40日間にわたり復活したイエスは、様々なところで教えを説き続けるのでした。 さてキリスト教の誕生はいかがでしたか。この後イエスの教えを忠実に守りつつ、キリスト教は発展していくのですが、信仰とは人の心によるものですから、少しずつ人によって解釈が変わってくるのですね。その代表がキリスト教の東西分裂です。西方教会(ローマカトリック)と東方教会(ギリシャ正教会)に分かれますが、信者数からするとご存じの通りカトリック教会が多いのです。これも歴史に詳しい方ならご存じでしょうが、周辺王国から領地奪取の危機に陥った東方教会が西方教会に助けを求め、「これ西方教会の拡大チャンス!」と思った西方教会(カトリック)が十字軍を送って西方教会を優位に立たせたのですよね・・。 そこは置いておいて・・・、よく耳にするのがカトリックとプロテスタントではないでしょうか。キリスト教の2大宗派と言えばカトリック派とプロテスタント派ですね。そもそも最大勢力はカトリック派でしたが、カトリック派は教会の建て替えや華美な装飾の数々を極めて一大飛躍を遂げようと考え「贖宥状(しょくゆうじょう)」なる免罪符を発行することとしたのです。免罪符とは、「これを買えば簡単に神のご加護を受けられますよ」というお札のようなの。教会に通ったり熱心に祈ったりしなくても免罪符さえ買えば救われます、というわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026年06月13日 05時00分06秒
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