立て続けに道徳のお話をしましょう。
「いや、もうおなか一杯!」???
そんなこと言わないで道徳について学びましょうよ。
なんたって道徳の授業はすべての教科の要なんですから・・・。
「ん?どういうこと?」って思いましたね。
ではではそのことについて話しましょう。
道徳の授業について、小中学校ともに学習指導要領を見ると「補充・深化・統合」という言葉が出てきます。これは道徳の授業において補充と深化と統合を行いましょうと言っているのです。

何を補充するのか。例えば学校生活を振り返ると、廊下を走れば注意を受け、けんかをすれば先生が仲裁に入りますよね。つまり学校生活の中ではきまりを守るとか仲良く遊ぶといった場面での指導が圧倒的に多くなります。
でも道徳的価値には、国際理解とか自然に対する畏敬の念などといった、あまり普段は注意を向けないような内容もまんべんなく位置付けられています。もし道徳の授業でそういった普段あまり気に留めることの少ない価値について考えないとすれば、小中学校9年間でほとんど考える機会はないかもしれません。だからこそきちんと時間をとって学ぶわけです。これを補充と言います。
「じゃあ、決まりを守るとか友達に優しくするといった価値については、普段の生活にあるからわざわざ道徳の授業でやらなくてもいいじゃないか」と思いますか。
学校って結構忙しいので、立ち止まって深く考えるなんてことできにくいんです。
例えば、多くの学校で見受けられる光景として、校門で朝の挨拶運動をしていますね。先生や先輩が「おはようございます」と声をかけてくれますが、「おはようございます」ととりあえず言ったけれど友達と話しながら通過すれば、その意味まで深く考えはしませんよね。また近所の人に挨拶されたとき、デパートの入り口で挨拶されたとき、全く知らない人に挨拶されたとき・・・、どういう気持ちでどういう態度が望ましいのか、あまりに毎日ばらばらに起きていることなので気に留めたり考えたりしにくいわけです。
これを道徳の授業で、深めたり(深化)まとめたり(統合)することが大事なわけです。

よくやりがちな誤った解釈があります。特別活動の宿泊行事をとって考えてみましょう。みんなの力を合わせてより良い移動教室にしようと先生が考え、事前に「集団生活の充実」という道徳的価値で道徳の授業をやっておこうとすること、自然に親しむために「自然愛護」もやっておこうと考えること、そして仕事も一生懸命やらせたいから「勤労」について授業でやろうということ、これらを事前指導として道徳の授業でやることは本来の姿ではありません。
補充・深化・統合を考えれば、宿泊行事に向けてだけやるのではなく普段から意図的・計画的に道徳の授業をやることは当然ですし、むしろ宿泊行事が終わってから他の生活事象と合わせて考えを深めたり補ったりすることが重要なのです。
どうでしょうか、これこそすべて学校で行われている学びの要が道徳の授業なのだとわかりますね