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カテゴリ:学校・教育
さて、前回の続きです。
学院生が道徳の授業をするときに悩める2つ目の問題。 それは「児童・生徒から、やろうとしている内容項目(道徳的価値)とはちがう意見が出たときにどのようにしたらいいかわからない」というものでした。 これについては、おそらく先生方でも困ってしまう事態でしょう。 具体的な教材をもとに考えてみましょうか。 小学校4年生「ありがとうの言葉」(東京書籍)という教材があります。 あらすじはこんな感じ・・・。 ひろしは、お母さんからお礼が言えないことを叱られる。そんなひろしに、なくした帽子が届く。プロ野球選手のサイン入りの大切な帽子である。思わず「ありがとう」という言葉が出たがお礼に行くのは少し恥ずかしい。そんな時、おばあちゃんに「ありがとう」は、この世にめったにないほど素晴らしいことに巡り合えたことへの感謝を表す言葉だと教えてもらう。おばあちゃんの話を聞いてひろしは、帽子を届けてくれた佐々木さんにお礼を言いに向かう。 この教材から先生としては「今日は、礼儀について考えよう」と考えたとします。しかしお話の中に出てくるおばあちゃんの言葉に「感謝」という言葉が出てくるので、児童からは感謝に関する話題が出てきます。さらには、佐々木さんは親切にも帽子を届けてくれたというところから「親切」や「思いやり」という道徳的価値が出てきてしまったらどうしましょうか・・・。ありがちな展開ですね。 しかしよく考えてみると、礼儀とか感謝とか、親切や思いやりはすべて関連しています。このように一つの教材の中にたくさんの道徳的価値を含んでいることがよくあります。 物事を多面的にとらえると考えれば、児童がこの視点に気づくことはとても大切ですね。そこで重要なことは、先生自身がこの多くの道徳的価値の意味をしっかり理解していることが重要です。礼儀というのは、真心のこもった挨拶や言葉遣い、所作や動作などの作法のことを言います。つまり形として表される行為のことなのです。この教材文のひろし君も、お母さんにちゃんとお礼を言いに行きなさいと注意を受けていますね。そしておばあちゃんから出てきた「感謝」という言葉、これは「感じたことを言葉にして矢のように射る」という意味ですから、感謝は言葉にして初めて伝わるのです。 さらに親切とは、「親を切る」とやや物騒な意味に見えますが、「切る」は心からひたすら強く思うという意味ですので「切に願う」なんて言う言葉があるくらいですね。だから「親切な行為」とは言いますが「思いやりな行為」とは言いません。つまり親切は具体な行為につながり、思いやりは行為よりも心に秘めたものという意味です。 ここら辺がわかっていると、今日の道徳的価値「礼儀」を本筋に、その関連価値もしっかりおさえつつ、一つの「礼儀」という価値も多角的に見れば様々な気づきが見つかることでしょう。こうして授業をもっていけば、子どもたちも一人一人の納得解を得ながら考えることができるというわけですね。どうでしょうか、少しはすっきりしましたか? 続きはまた次回に・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年11月11日 05時00分05秒
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