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カテゴリ:学校・教育
「真実はただ一つ」という言葉から連想するのは、美女と野獣のミュージカルで歌われる歌詞であったり、「真実はいつも一つ」という名探偵コナンの決め台詞だったりと、この真実という言葉はよく耳にしますね。
実は道徳の内容項目にも「真理の探究」という言葉が出てきます。 真理と真実ってどう違うの?と思いませんか。 その前に真実と事実の違いをはっきりさせておきましょう。 事実とは、検証可能な客観性の高い出来事であり、これは必ず一つです。つまり事実は一つなのです。 真実とは、絶対的な正しさや信念に基づく嘘偽りのない主観的な概念です。だから人の数だけ真実はあります。 具体例でいうならば、「2025年12月9日(火)の午後1時に東京都新宿区の都庁第二庁舎前の交差点で交通事故があった」という事実はただ一つです。でもそれを目撃した人の中には、「自分の時計では13時30分だった」とか「交差点ではなくT字路だった」とか、その人自身の信じている根拠をもとに語るので、時として事実と違う話になることも多いわけです。ただしこの真実は、その人が嘘を言っているわけではありません。つまりやっかいなことに、何を根拠にそう言っているのかを見極めないことには事実にたどり着けないのです。だから交通事故のような場合は、警察の方々が聞き取りをして、その目撃者の誤りを正していくことで、ただ一つの事実を探す地道な努力が必要なのですね。 さてここでいう真実の根拠は「絶対的な正しさとか誰もが否定しようのないこと」である必要があります。これが真理です。ですから言い換えれば、誰もが否定しようのない絶対的な正しさを持つ事実が真理であると言えます。でも、そんな誰もが認める絶対的に正しい真理ってあるのでしょうか。真理は概念なので目に見えません。真理などないという哲学者もいます。ここまでくると哲学的な話であり、宗教的な話でもあるのでこれ以上深みにはまらないようにします。 そう考えると道徳的価値にある「真理の探究」とはそう優しいことではないということが分かってきます。すべての人が認める普遍的で妥当性のある絶対的な正しさを追求しようというわけですからね。でも大事なのは、この真理を追求しようとする人間の努力が、今日の人類の歴史を作っているということです。 先生方、真理の探究って、結構難しい授業ということになりますね。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年12月09日 05時00分05秒
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