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2026年02月23日
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カテゴリ:学校・教育
前回にお話しした「中道」ととても良く似た言葉ですね。
中道は「両極端はいけない、ほどほどが良い」という考え方と言いましたが、仏教を極めていらっしゃる方からすれば、お叱りを受ける表現でしょう。
単に中間がいいと言っているのではない!」と。

ここで仏教の教えを詳しくお話しするとなると深みにはまりますから、前回の記事をお読みください。
そして中庸とは、やはり世間では「真ん中をとること」と理解されています。
すると現代人の解釈では「出過ぎてはいけない」とか「黙ってないで主張しなくてはいけない」という極端な行動は避けるべきで、可もなく不可もなく過ごしましょうと捉えがちです。

中庸という考え方は儒教からきています。紀元前6世紀の中国で孔子という人が伝えた教えです。
本来の中庸という考え方は「人生においては、出しゃばるときや主張するときもある。時にじっと黙って、あるいは逃げ出すこともある。浮き沈みや紆余曲折があっても、人生トータルで見ればバランスの取れた中間に落ち着くのが良い」と言っているのです。
孔子の書に「論語」という有名なものがあります。この中で次のように述べています。


上記の言葉を現代語訳すれば、「私は15歳で昔の教えを学んだ。30歳でその教えを自分の知識として理解し、40歳でその知識と世の中のことが一致して迷うことがなくなった。50歳で自分のしていることは天の命じたことだと確信した。60歳になると他の人の言うことも納得できるようになった。70歳になると自分の思うままに行動しても一定の枠を外すこともなくなり自由を感じることができるようになった」と言っているのです。
これがまさに中間をとれるようになる「中庸」の考え方なのですね。
さて、どちらがいいかと言っているのではありません。前回の最後にも述べましたが、この儒教の考え方が「道徳教育」に大きく影響しているので話題にしました。
ではどういうことなのか。これはまた次回に・・・。








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最終更新日  2026年02月23日 05時00分05秒
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