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誰も支配せず、支配されないということ

 木原武一が次のように書いている。

「誰にも支配されず、誰をも支配しない理想の社会はいまだに実現されそうにないが、せめて家庭のなかで、あるいは身近な人間関係のなかでその理想を実現することは可能ではなかろうか。親が子を支配したり、夫が妻を、あるいは妻が夫を支配したりしようとすれば、家庭は居心地の悪い場所になるだろう。また、そういう家庭では自立した人間が育つはずもない。命令されたことしかできなくなるからである」(『こころを養う賢者の言葉』海竜社)

 この人生を真に自分が主人公として生ききるためには、一方で、人の顔色をうかがっていてはいけないであろうし、人に意見を求めるだけで、自分で判断しないというのではいけないだろう。失敗するかもしれないが、自分の判断で動ける、その意味で自立したい。

 他方、他の人は私の期待を満たすために生きているわけではないから他の人を自分の思う通りに動かせると考えてはいけない。自分は支配されたくないが人は支配したい、とつい考えることがあるが、自分が権利を主張するのであれば同じことを他の人にも認めなければならない。

 木原のいうように、誰にも支配されず、誰をも支配しない社会はまだどこにも少なくとも完全な形では実現されていないかもしれないが、自分が関われる対人関係の中で実践していきたい。

 木原はゲーテの次の言葉を引いている。

「命令する相手も服従する相手もなしに、それだけで何かでいられるような人間だけが、ほんとうに仕合せな偉大な人間なのだ」


 このゲーテの言葉は、いつも僕が使う言葉を使えば、特別でなくてもいい、普通であればいいということである。特別よくなろうとすることも悪くなろうとしなくてもいい、自分をよく見せようとしなくてもいい、人の上に立とうとしなくてもいい…なのに自分が何らかの意味で他の人と違わなければならないと考えたり、自分が他の人と違うことを証明しなければならないと考えるのである(『アドラー心理学入門』p.99,103参照)。

 思い返せば、初めてアドラー心理学の講演を聞いた時、自分はいつも特別であろうとしていたことに気づかされたのだった。



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