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生きかたの問題

 淀みなく流暢に話すことは必ずしも必要ない。もちろん、そんなふうに話せることは時に必要なことかもしれないが、必須のことではないことにあらためて池澤夏樹の『むくどりの巣ごもり』(朝日出版社)の中の次のような話を読んで思い当たった。

 石牟礼道子さんのテレビカメラを前にしてのは話ぶりについて次のように池澤は書いている。

「…言葉を選びながら伝え、時に絶句し、考えて次の言葉を提示する。話し手の時間と見ているものの時間が完全にシンクロしている。言葉に詰まると見ている側も息苦しくなる。それでも石牟礼さんは自分の言葉で話す。
 ああいう言葉を持ちたいとその時に思ったが、今もってその望みは叶えられないていない。言葉ではなく、生きかたの問題だから」

 なるほど生きかたなのだ…

 外国語でも同じことである。日本語でも人前で話せないのに英語で(あるいは他の外国語で)話せるとは思えない。大切なのは池澤の表現を使うと「生きかた」であり、話す中身である。そもそも話すものを持ってなければ日本語であれ英語であれ話しようがない。英会話の本には、会話のコツとして(黙ってないで)Say something immediately(なんでもいいからすぐにいいなさい)と書いてあるが、沈黙してもいいのである。沈黙を楽しめない会話はつまらない。

 外国語の場合、研鑚をつむことは必要であり、日々習得の努力をするということを前提にした上で、このようなことを知っておいていいと思う。話したいことがあればそれをどう表現すればいいか考えないといけないことになるから言葉そのものも上達するであろう。



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