2007/03/23(金)23:33
旨いものは「旨い」でいいじゃないか
美味しいものを食べて美味しいというだけだけは能がない旨吉田健一は言った。
作家になる創造力が無く、人の作品をこねくりまわすのが批評家なる旨をマーローは言う。
十代の頃清水俊二訳による「長いお別れ」を読んで以来、四半世紀を大きく超えて読んだ村上春樹訳「ロング・グッドバイ」は、チャンドラーの気づかなかった魅力を存分に見せてくれて面白かった、とそれだけを言いたい気分にさせる。
読み終わり、今とは違う古い表紙の「長いお別れ」を探すものの見つからない、しかし探したおかげで「かわいい女」清水俊二訳、「チャンドラー傑作集2」稲葉明雄訳、「さらば愛しき人よ」清水俊二訳、「プレイバック」清水俊二訳、「笑う警官」マイ・シューヴァル 高見浩訳、パウル・クレー「創造の物語」図録を見つける。
「長いお別れ」は明日以降古書店を探そう、と思いつつ、同じく村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」の冒頭を読み始めてしまった夜なのだが、「ロング・グッドバイ」においてはフィッツジェラルドもシェークスピアもプルーストも、フローベールも語られる豊かさがあった。
寝間の文机に妻の読んでいた伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』の破かれた四ページが放置され気がかりだった、何気なさを装いつつ家族が揃った時に問うてみると、何のことはない、過日熱を出して寝込んだ息子を心配して一緒に寝たとき、高熱を出した息子がティシュと思いこんで引っ張ったのが件の文庫本、一時は腹を立てた一節にページをむしり破いた妻の姿を想像したが、おっとりと「あら、そうだったの」。
明日より春休みに入る息子「お父さんはいつから?」。
思えば息子が物心がついた頃から私は家で仕事をして、毎日が春休みのようなものだった。
この春休み息子は道東まで初の一人旅をする。
つらつらと育った息子のことを考えていると、本格的にアルバイトを始めた娘が23時近く疲労して帰宅した。そして来週妻は仕事に復帰する。
時は容赦なく流れる。