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テーマ:ザ・同人ライフ(839)
カテゴリ:腐女子(発酵系)
ただの美形、やおいに成らず萌えも無し。
良い攻めが良いやおいを造る。 などと言いますが、それにも増して重要なのが、キャラクターの「「関係性」 友情とか敵愾心とか憎悪とか誤解とか思い出とか嫉妬とか、心が執着せざるを得ない何かがある事がまず重要で。(…なんだかマイナスの感情が多いな…エネルギーが強いからか) まずはそこから。 もちろん、綺麗にこしたことはないけど、それって美味しいご飯がまずは味、それから見栄えってことになるのと同じことだと思うのね。美しいものが嫌いな人がいて…?といっても綺麗なだけじゃつまんないよ。 トラバしたブログは、のだめのヘテロカプについての記事なんだけれど、このマンガの最も面白いところは、女が攻めで男が受だという現実を、照れず真っ直ぐに、はばかりなく描いているところだと思う。ヘタレ攻っていうのもあるけど、千秋センパイは完全に受で。といっても、それがマイナスだとは作者をはじめとする人間が、誰一人思っていないところがイマドキだなと。 男は強くたくましく、攻でなきゃイカン、というような前時代的な価値観が無いのが、非常にリアリティがあるというかなんと言うか。 そしてのだめは、まさにヘタレ攻なんだよー。 そして、そこが良い! 二次創作の作家、書き手と呼ばれる女子って、攻であることが多いとやっぱり思う。 だから好きなキャラが受になりがちなんだったのかと、ある日気がついたのです。 こんな、スッゴイむくつけき(粗野で野蛮な「むさくるしい」)キャラが何で受(当時は女役だと思ってた)なの?って昔は思ったけど、作者が心底攻で、かつそのキャラを愛していれば、それはもう当然そういうことになるじゃんよ! そんなの、当たり前だよ! カプがどうのとか、受け攻めがどうの、とかいう問題じゃない。 他者の愛情嗜好に対して、なんだかんだ言うのは失礼に当たるわけで、正解なんてある訳が無い。そりゃあ、揉めるわな…。自分自身が主体なんだから…。 でも、でもよ。 読み手・それも自分では書かない層は、意外とこの法則で生きてはいない…。好きなキャラに自己投影する時もあって。 そこんところの齟齬が、書き手と読み手の気持ちのズレになっていくんじゃ。読みたいと思うものを、作家はなかなか描いてはくれないものなので。スカーンと読みたい物にスマッシュヒット!っていうことが、実は滅多に無いんだよね…。 そして自分が二次創作系で、話題に乗れずにいた理由がやっとわかった。 作家系がほとんど攻だっていうのに、私は何故か受思考をする派だったのでした。 ああ…趣味がなかなか合わないはずだよ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月12日 01時32分30秒
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