テーマ:おすすめ映画(4018)
カテゴリ:カテゴリ未分類
1993年、アメリカ、フランク・マーシャル監督
実話に基きそれを忠実に再現した映画で、登場する人物はすべて実名です。 ********************* 数十年ぶりの寒さを記録した1972年10月、総勢45人からなるウルグアイの学生ラグビー・チームと家族らの一行は、チリで行われる試合に参加するため、飛行機でアンデス山脈を越えようとしていた。しかし、不幸にも機体は岩山に衝突し墜落した。 生き残った27人は、通信不能で捜索隊をじっと待つしかなかった。しかし、厳しい吹雪のため捜索は難航。3日目に上空を飛行機が飛来したが、結局救助隊は一向に現れなかった。数日後、ラジオで彼らは捜索が打ち切られたことを知った。 10日目の朝、彼らは仲間の屍を食べることを選択し生存に望みをかけた。しかし、その後も徐々に仲間を失ってゆき、猛烈な雪崩に襲われ何人かの仲間を失うことにもなった。 意を決した三人が、救助を要請するために山を越えることとし、ナンドとロベルトはついに山の麓にたどり着き、皆は救助隊に助けられて無事生還することができたのだった。 こうして、夜には零下40度にもなる極寒や飢えに耐え抜き、事故から72日後に16名が奇跡的な生還を果たしたのであった。 ********************** ロケは事故現場と同じくらいの寒さや雪があるロッキー山脈で行われましたが、雪山の映像は本当に奇麗ですね。ただ、そういう自然であっても一皮むけば人間にとって極めて過酷な環境に変貌するわけで、そうであるが故に景色の奇麗さがより一層強調されてきます。 零下40度の寒さというのは、私の想像を絶しています。この遭難者たちは、飛行機の残骸(胴体)で寒さをしのいだのですが、人から聞いた話によると、雪に穴を掘るかカマクラを作ったほうが寒さはしのぎやすいということです。飛行機の残骸では、隙間風がきつかったでしょうね。 この映画、DVDには”メイキング・オブ・アライブ”として、一時間ほどの特典映像が収録されています。 そして、この特典映像が、何と言っても面白い! 2時間ほどの本編は、この特典映像のプロローグといっても過言ではないとさえ思えてくるほどです(その理由は後述)。 特典映像では、実際に事故に遭って生きのびた人物たちが実際に登場し、インタビューで救出されて以降の心の内を臆面もなくさらけ出しています。しかも、そのうちの何人かは、(彼らのアドバイスによって)事故現場を忠実に再現したロケ地を訪れて、当時の記憶を生々しく甦らせた後で語っています。ある者は、ロケに招待されたわけでもなかったのに、自らの意思で訪れています。 彼らが語る「物語」は、どれも個性的です。当時の行動を誇りとする者、内心の忸怩たる思いを隠そうとしない者、臨死体験の告白、今風にいうと重篤なPTSDに陥った者、神への信仰(彼らは皆カトリック系の大学に通うカトリック信者でした)を語る者、等。 事故から救出された直後、彼らは英雄として賞賛の的だったのですが、チリの新聞が「人肉食」を暴露してからは、賛否両論が入り乱れた議論の渦に巻き込まれていくことになります。また、彼らは皆、事故で亡くなった方々の家族とともに一つの小さな町で今でも暮らしており、日常的に顔を合わせて暮らしています。遭難事故はもちろん大変な出来事でしたが、生還後の社会的出来事もそれはそれで大変な出来事だったのです。 そういう彼らを支えたのは、やはり宗教だったようです。映画をご覧になればお分かりだと思いますが、根底に流れるテーマは神への信仰に他なりません。彼らは何度か動揺しながらも”団結”を失うことは決してありませんでしたし、事故後のいまもそれは失われていませんが、この”団結”の強さは信仰を抜きにしては語れない面があったのでしょうね。 遭難して過酷な環境にありながら、彼らの生活は規律が守られたものでした。 それを典型的に象徴するエピソードが死体の管理で、メンバーのうちの三人によって終始厳格に行われています。しかし、それでも”心の疚しさ”に悩み続け、遂には「獣になる前に出発しよう」と山越えを決断したのでした。 そういう彼らが保持した規律から私が連想したのが、ホッブスの唱えた「自然法」です。 ホッブズは、社会契約説を説明するにあたり、まずは、社会的規範が何もなく自己保存のために「万人の万人に対する闘い」が行われる原初的な状態(「自然状態」)を想定します。「万人の万人に対する闘争」という時の「万人」とは、キリスト教徒のことではありません。キリスト教徒でないばかりか、いかなる意味でも宗教的人間ではなく、彼らは互いに他を傷つけあうような”野蛮人”です。そういう状態をホッブズは人間”本来”の姿だとして「自然状態」と呼んだわけです。 「万人の万人に対する闘い」という過酷な状況にあって、やがて人々の間に理性が働くようになり、自分自身の安全を確保し生きのびるために関係の合理性を見出そうとします。これがホッブズのいう「自然法」です。 実は、ホッブズの「自然法」は、キリスト教によって基礎づけられていた「自然法」(神の理性、神の定めた自然の理)とは一線を画するものです。なぜなら、ホッブズの「自然法」を基礎づけているのは、どんな人間も「自然状態」においては生きのびるためにあらゆる手段を用いるという”事実”(人間の本性)なのであって、そのような人間の本性は、キリスト教では神の意志に逆らうものとして悪であると規定されるからです。 ・悪として人間の本性を道徳的に否定するキリスト教的「自然法」。 ・人間の本性を事実として受け入れ、それによって基礎づけられるホッブズ的「自然法」。 アンデスで遭難した者たちがみせた団結や規律、すなわち自然法は、キリスト教的だったのでしょうか、それともホッブズ的だったのでしょうか。 映画『生きてこそ』では、キリスト教の聖体拝領を引き合いに出すなどして、キリスト教的「自然法」だと主張しています。しかし、どこか白々しさが漂う、という印象は否めません。 はからずも、その白々しさを払拭し、ホッブズ的な「自然法」に他ならなかったと暴露しているのが特典映像(”メイキング・オブ・アライブ”)だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
<<μ ミューさん>>
>わたしもきっと、 >本性に忠実にしたがって生き抜くだろうなぁ。 > >なにせ、したたかだから(*^_^*) > >狼ちゃんは? ----- 男はね~、なかなか背中の荷物から自由になれないんですよ。ですから、本性に忠実な女性に魅かれるんでしょうね。 (Jun 5, 2005 10:11:33 AM) |
|