夕張北高79年3年D組ホームルームHP ブログ&掲示板

2008/11/19(水)09:22

不況とテロと戦争

社会問題(55)

きな臭い感じがしてきたと感じているのは、おそらく俺だけではあるまい。 埼玉と東京中野で起きた連続死傷事件は、おそらく対個人テロ事件であるだろう。 http://www.asahi.com/national/update/1118/TKY200811180318.html?ref=goo もしも、この犯行がある組織によって行われたとすれば、犯行声明のようなものが出るかも知れないが、個人によって行われたものであるとすれば、ひっそりと隠れて次の機会を狙うのかも知れない。 その間に、犯人につながる手掛かりが見つかり逮捕にまでこぎ着けるといいのだが。 だが、この種の犯行は、犯人がたとえ捕まったとしても、連鎖的に模倣犯が出てくる危険があることに注意しなければいけない。 犯人の狙いはまだ明らかではないが、社会保険庁及び年金問題に何らかの繋がりがあるのではないかと容易に想像ができるし、仮に犯人の意図が全く違ったところにあったとしても、確かにこの間、社会保険庁や厚生労働省における数々の不祥事は、国民の怒りを買っているわけだから、どこかの暴徒がこの国民多数の鬱憤を「天誅」の名目で安直にはらす形になったのではないかと、多くの国民が推察することは間違いのないことだろう。 問題なのは、このような対個人テロが、秋葉原で起きたような無差別テロとは違って、ある種の政治的な意図を持ったり、「正義」を代弁する時、容易にそこに賛同したり、つられたり引きずられたりする連中が出てくるということだ。 連鎖的な模倣犯が発生する危険があるというのは、そういう意味だ。 このような体験は、日本においても既に何度か現れている。 それは、歴史的には必ずと言っていいほど、社会が不景気の状況であったり、政治的に閉塞的環境に置かれている場合だ。 戦前の血盟団による連続テロ事件や五・一五事件も、そのような日本社会の不景気の中で行われたのであり、その後、日本は軍国主義によって暴力的に解決を図ろうとして破滅してしまった。 不況とテロは容易に結びつく傾向がある。 テロは、もちろん自由と民主主義を脅えさせ、絞殺する。 そして、暴力と戦争は、どちらも短期的に状況を突破するための手段として用いられるのだ。 臨界状況に陥った社会では、もはや善悪だけで社会の暴走を食い止められなくなってしまう。 手遅れにならないうちに、政治家と官僚は心して改革を行うべきだ。 口先だけではなく、しっかりと目に見える形でそれを行わなければ、国民は決して納得しないだろうし、また安心もできない。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る