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カテゴリ:経済問題
姫岡玲治氏の死去

今月、姫岡玲治こと青木昌彦氏が死去した。
既に、著名な経済学者達が追悼ブログ記事などを発表しているので、今更俺のような者が何かを言う必要性も意味もないが、個人的には彼が元左翼だったこともあって、考えるところがあるため、少々認めておきたいと思う。

青木昌彦氏といえば、近代以降の日本で唯一と言っていい国政を揺るがす大衆運動、60年安保闘争を組織・扇動し、国会突入を行なった全学連(全日本学生自治会連合)の執行部役員として、唐牛健太郎、西部邁らと共に知られた伝説的人物であった。
当時彼等が結成した左翼組織は、既存の日本共産党とは異なる、自発的な個人の連合体を目指した共産主義者同盟(ブント)であった。

Wikipediaによれば、「東大在学中に姫岡玲治の筆名で執筆した論文「民主主義的言辞による資本主義への忠勤-国家独占資本主義段階における改良主義批判」は、共産主義者同盟の理論的支柱となり、「姫岡国独資」と略称された。」


この「国家独占資本主義」というのは、当時マルクス経済学を勉強してた学生なら必ず知っていたであろう言葉であり、俺自身が80年代に大学に入ってもまだキーワードとして時々使われていた言葉だ。
これは、もともとレーニンが「帝国主義論」の中で指摘した「腐朽しつつある資本主義の形態」という資本主義段階を表わす言葉であり、後期段階の資本主義は、一部の資本家が市場を独占状態に支配し、それが国家権力と結びつくことで(国家と独占資本を併せて)国家独占資本主義になるという世界観(資本主義史観)なのだ。
彼らの発展段階説によれば、この国独資が他国を侵略することで帝国主義に至るというイメージだったが、国独資そのものは終戦後の日本(帝国主義を放棄した日本)でも生き残っており、それこそが現代日本の革命における打倒対象だという理屈だった(はずだ)。

ところが、周知の通り、実際の歴史はそんなに単純なものではなかった。それだけではなく、頼りにしていたはずの共産主義なり社会主義なりが、ソ連や中国での大弾圧を生むような政治体制だったと明らかになるにつれて、左翼運動は急激に弱体化した。

そのような中で、青木氏はアメリカに渡り、後にノーベル経済学者を受賞するハーヴィッツのもとで数理経済学を学び(アローに師事したと思っていたがハーヴィッツだったのね)、正統派経済学者として転身を図った。
但し、俺の理解では、彼のゲーム理論的な枠組みで探ろうとしていた社会像は、各社会固有の組織がなぜ、そしてどのように誕生するのかということで一貫していたのでないかといことだ。つまり、彼が若かりし頃かかわった左翼運動の中で、同じ国独資となっていた各国の資本主義がなぜそれぞれ固有の歴史を有しているのかという問題意識と基本的に変わっていなかったのではないだろうかと思っている。
そこが、彼の経済学が比較制度学派と呼ばれるようになった原因なのだろうと思う。
実際彼の幾つかの著作では、日本独自の組織とその意思決定の在り方、その結果生み出される社会の独自性の分析を行なっている。

このような問題意識は、当時のマルクス経済学を学んだ者達の多くが共有していた問題意識ではないかという気がする。少なくとも、俺自身が経済学の領域で勉強させてもらっているのは、彼と(おそらく)共通する問題を明らかにしたいと思っているからだ。
青木氏は、マルクス経済学の発展段階説のような戯画的な単線的発展論ではなく、かと言って、正統派経済学のような数理整合的な構造だけで分析もできない、もう一段複雑な社会構造そのものに肉薄しようとしていた戦後を代表する日本の知の巨人の一人だったことは間違いない。

個人的にも、実は青木氏には思い出がある。
俺が京大の修士学生だった80年代後半、彼は経済研究所の教授として着任されていた。
彼が開講していた大学院向けの講義のシラバスには、「この授業では高度な数学的手法を前提して行なう云々かんぬん・・・」というような内容のことが書かれてあり、他の院生が俺のところに来て「青木さんって、学生に来てほしくないってことなんじゃないかなぁ?」と言って苦笑していたことを思い出す。
無論、そのシラバスを読んだ俺は、恐れ多かったので彼の授業を受けることはなかった(笑)。
今にして思えば、思い切って門を叩き、青木先生の経済学や社会科学に対する考えを聞いておけばよかったという気がする。

彼の冥福を祈りたい。

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Last updated  2015.07.26 10:22:49
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