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昨夜、改めてボヘミアン・ラプソディを見て、以前wowowで見た時とはまた違った感じ方をしました。
最初見た時はフレディの本当に伝えたかったことを上っ面でしか見ていなかったし、クィーンの曲の歌詞も過激だなとしか思わなかったんですけど、昨日は一気に人気が出て最初は曲の良さにみんなが飛びついたけど、やがてフレディの外見や嗜好ばかりに人々の興味が向いてアーティストとしての彼の才能がどこか置き去りになってしまったこと、苦悩の末に気付いた大切なことや最終的にはアーティストとしての才能や曲の良さが全てだということに改めて気づいた気がします。 クィーンの楽曲もその歌詞の本当に伝えたかった意味というものを感じました。 そしてこの歌詞を日本語に訳することの難しさも感じました。ボヘミアン・ラプソディも字幕に出ている歌詞は細かく色んな言葉を詰め込んでいるけれど、それを全て日本語で歌うにはやはり無理があります。 一番伝えたいことを簡潔にでも核心の部分は漏らさず入れなければなりません。湯川先生、本当に大変な作業だったのではないかと思います。 そしてそれを表現することの難しさ。バラードやロックやオペラなど様々な要素を持つだけに、それぞれに表現方法が違いますからね。 そして、どうしてもやはり氷川きよしの今と重ねてみてしまう部分があります。新しい扉を開け挑戦するkiiちゃんですが、今はまだ外見への興味関心の部分が大きい気がします。 それがやがてアーティスト氷川きよしの表現力と歌唱力に評価がされるようになるにはもう少し時間が必要なのでしょうか。 フレディは45年という短い人生でしたけど、kiiちゃんには健康でずっと長く生きて歌っていて欲しいと心から願っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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