momokoの*Tinierタブロイド・創刊号

2015/02/03(火)00:34

3D~超立体~の天国が、ローマにあったージェズ教会

芸術作品(108)

3D~超立体~の天国が、ローマにあったージェズ教会Kは、なんで、こんな派手なのかな。Pは超地味なのに。  カラヴァッジョが道を拓いたバロックの絵画はカトリック教会建築と融合して華々しい展開を見せた。その実例を見て行こう。  ジェズ教会に入ったのは午後5時30分を少し過ぎた頃だった。単廊式でだだっ広いほどの空間は一部を除いて照明が落とされ、薄暗い。ミサではない。ただ、何かを説明するようなアナウンスが響いている。照明が当てられているのは左翼廊のイグナティウス・ロヨラの礼拝堂だ。この礼拝堂はアンドレア・ポッツォの設計。金銀をふんだんに使った豪華絢爛の祭壇になっている。  イグナティウス・ロヨラは反宗教改革の旗を掲げ、非ヨーロッパ世界にまで布教の幅を広げた、イエズス会の創設者だ。日本にも伝道に訪れたフランシスコ・ザビエルと共に失われたカトリックの信頼と威光の回復に尽力した英雄でもある。 よく聞き取れない説明が終わりかけて、暗かった照明が次々に点灯し出し、ついに天井を照らし出した。  そこに浮かび上がったのは天井一杯に描かれた「イエスの御名の勝利」。ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ、通称バチッチャの作だ。カトリックの教えが全世界に広がって行くというテーマ。与えられたスペースから大幅にはみ出して、人物たちが天井全体を埋め尽くしている。いささか、というより明らかに過剰な装飾の極みがそこにあった。  天井の左端をアップして見ると、人々が絡み合い、錯綜した混乱状態。異教徒たちがカトリックに圧倒されて退散して行く様だろうか。  天井中心寄りでは、カトリックをあがめる人々の賛辞が響くような光景が展開される。  右端をアップすると、天使たちが空を舞い踊る。これは絵ではなく石膏で造られたレリーフだ。  異教徒たちの群れの横には大きなクーポラがあり、その丸天井に「天国」の寓意画が描かれている。「異教徒たちは地獄の業火に焼かれ、カトリック教徒は安らかに天国に導かれる」というわけだ。このように天井全体を使って「手の届く天国」を立体的に、つまり3Dの手法でここに創造してしまった。 バロックとは「ゆがんだ真珠」という意味だが、ここのバロックはあまりにもゆがみ過ぎて、理解不能の領域にまでぶっ飛んでしまった印象だ。  丸天井の奥には主祭壇があり、この祭壇中央に「IHS」の文字が輝いている。この文字はラテン語の「人類の救世主イエス」の頭文字で、イエズス会は「イエスと共にあり」の意味としてこの文字を会の紋章に採用している。そのモノグラムから光が発せられ、祝福された人々を照らし、サタンたちを打ちのめしてゆくわけだ。  それほどにイエズス会は、宗教改革の嵐の中で、崩されかけたカトリックの威光を取り戻そうと懸命の反撃をしかけたアグレッシブな団体だった。  丸天井から右側に目を移すと、ロヨラの礼拝堂と向かい合うようにフランシスコ・ザビエルの礼拝堂がある。この絵画はザビエルの布教活動を描いたもののようだ。  黒い僧衣をまとった姿の方が、私たちにはザビエルらしいイメージだ。スペイン人のザビエルは、ロヨラと共にイエズス会を創設。アジアへの布教に力を尽くし、1549年鹿児島に到着して2年以上にわたって日本にキリスト教を広めた先駆者だ。  1552年中国で病死し、遺体はインドのゴアにある教会に移されたが、右手だけが1614年になってイエズス会総長の命で切断されローマに運ばれた。その右手がこの礼拝堂祭壇の金の箱に入って祭られている。  この祭壇にある天使像もまた見事なバロックだ。  教会は1575年に完成したが、その10年後1585年の3月から6月にかけて、日本人がここに滞在していた。天正遣欧使節の少年たち4人。この時中浦ジュリアンは、法王の謁見を前に病床に伏していたとの記録が残っている。

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