2015/03/29(日)03:55
古代に使用された鞭 大人の部屋。未成年は。お立ち去り!。
鞭といえば、棒の先になめした革を取り付けたものを想像するのが一般的であろう。
しかし、歴史的に見ると、革よりは細枝を使って打ち据えたのが最初ではないかという説が有力である。
古代における鞭の記録は存在し、国や宗教によっても様々な規定がされていた。
『古代ユダヤ人たちが使用した鞭』
古代ユダヤ人たちが使用した鞭は、棒に13本の革紐がついけられた形状をしており、罪人にのみ使用した。
鞭を打つ回数は39回を限度としているため、例外を除いては、実際に打たれる回数は3回であった。
『古代イスラエル王国』
古代イスラエル王国のソロモン王は、懲らしめる方法として鞭の使用を認めていた。
記録によると「彼(ソロモン王)は棒をもって我が子を叩き、矯正することを好まれた」とある。
棒とあるので、鞭というよりは杖や笞に近い形状だったのであろう。役割としては、鞭である。
『古代ペルシャ・中国』
古代ペルシャや中国では、鞭ではなく、笞刑がよく行われた。
木や細竹、割った竹などを乾燥させ、打ちやすいように加工したものである。
鞭は破壊力が強く、罪人を殺してしまうこともあったが、笞の方はそこまで威力はないため、懲罰用として広く利用されることになった。ヨーロッパではケインという名称で、現代でも使用されている。
『古代ローマ』
古代ローマでは、刑罰だけではなく、主人が奴隷に対して懲罰する時にも鞭打ちが行われた。ただし、鞭打ち自体が不名誉な行為とされていたので、ローマ市民に対して鞭打ちの刑罰が執行されることはなかった。 また、鞭の種類や形状も記録されている。
「フェルラェ」
平べったい革紐の鞭で、軽い罪に使用された。主人が奴隷に対して鞭打つ時も、このタイプだったのではないかと考えられる。
「スクティカェ」
羊の皮を薄く削って捻り、何本も紐にした鞭。少し重い罪に使用され、刑罰用であった。
「フラゲルム」
恐ろしいという敬称がつけられ、テリブレ・フラゲルムとも呼ばれた。
御者が馬を打つ時に使う、牛革製の鞭である。
他にも、短い棒に牛の革紐を三本取り付けたタイプのものや、より威力を高めるために、革紐一本に骨のこぶが付けられたタイプのものも存在した。
「アストラガラ」
革紐や棍棒に、トゲや釘、獣骨を付けた鞭。古代人が靴を掛けておくものに似ていたので、アストラガラという名称がつけたられた。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが、ローマを征服した時、奴隷としたローマの人々を、この恐ろしい鞭で鞭打ち刑にしたため、多数の死者を出したという記録が残っている。
「プルムマバタエ」
棒に数本の革紐を取り付け、その革紐に鉛や青銅球を絡み合わせた鞭。
アストラガラよりさらに殺傷力を高めているため、刑罰というよりは、処刑するための鞭といって良いだろう。
鞭というとどうしても懲罰、刑罰を想像しがちだが、古代においては、祝祭にも使用された。自らを鞭打ったり、打たれたりする人も多かったのである。
ローマの祝祭には多産を願い、女性は自らスカートの裾をたくし上げて、下腹部や性器に鞭を受けた。というような記録も残っている。
古代において鞭というものが、もっと身近で一般的な道具だったのである。