momokoの*Tinierタブロイド・創刊号

2018/01/01(月)01:52

買い物に精を出す・思い込みの面倒臭さが、やれば簡単で一から出直す決意に至ったこと・掌を返さず、ゆっくり遠のく論理・嫌だと思うことは、やけになって続けない大切さ。

ゲーム(52)

 昨日は大晦日だった。大清掃と買い物に精を出した日だった。買い物と言っても行ってもらうのは旦那だが。旦那が羨ましい。ほんとに年の割りにはカラダがよく動く人だ。すき焼き肉を上手くゲットし普段の半値以下の値段で1キロ半 の量を手に入れた。4000円以上のお得で買えたらしい。それと今日の夜の夕飯に年越し蕎麦と晦日寿司・オードブルを食卓に並べて二人で食べた。障子の張替えも無事終了した。2日には娘家族が遊びに来る。👶は、まだハイハイ歩きしかできないためフローリングの拭き掃除を、、といっても旦那にしてもらうことに。私は水回り仕事と🐱の世話・小物の移動・夕飯や昼飯の支度など軽作業しかできない体力である。力が弱くなったので力む作業は全部旦那任せ。バタバタできない体力なので買い物も旦那任せ。重労働は全部旦那の仕事。私は軽作業のみ。旦那も私みたいなら二人で共倒れだな。ワラッ。そんなこんなで、なんとか今年を乗り越えられて2018年がスタートした。 別のサイトで、たった2年間で驚異急激UPした5200人以上のフォロアーを持ちながらコミュニティーに参加するのを間違った解釈で、とかく面倒な作業だと間違った意図で長期を過ごした。それと数字に追われている自分に気がついた。感情的になり、その思いがエスカレートしてしまう自分が見えてきた。学校の受験勉強のような競争の息苦しさに似た感覚だ。数字に囚われない伸び伸びした環境を作りなおす必要性がでてきたと自覚しはじめた。それで自分のページを自ら殺し一から出直す決意をした。思考の環境変化を獲得するには、その方法が一番手っ取り早かった。白紙に戻して再度コレクションの数々を作りなおし前から避けていたコミュニティーのオーナーになり世界の人々に招待状も送った。今は私のコミュニティーの中に15人くらい参加してくれている。嬉しく思った。こんな簡単なことを、なぜ難しいことだと考えてしまっていたのだろう。原因は数字に囚われている自分の仕業だった。この数字に囚われる精神がストレスとして蝕み少しの面倒な目新しいことでも酷く面倒に思ってしまう心の錯覚・死角が生じていたからだ。答えはここだ。数字に囚われると伸び伸びとした心が死に、あくせくした自分ができあがってしまう。そのため非情に短気になり、ささくれだった自分が確立してしまう。こういうことは長年続けると精神破壊へと繋がり手のつけられない自分に成り下がってしまうのが目に見えてしまった。自分の周りはユートピア。ユートピアの環境を自力で作り上げ、そこで作業開始しなければ有意義なものが出来上がらないということにも気づいた。 とかく数字に追われてる人は多いと思う。しかし、それは自分破壊へと繋がってることを自覚してほしい。数字に追われるから必要以上に人に食い下がり、媚へつらう。そういう人を見てるとホントに苦しい思いがしてくる。私は自分が好きな人にだけ好かれるのが理想で嫌いな人に好かれるのは大嫌いな性分だ。ブログやプロフィールなんて銭の入るビジネスじゃないんだ。まるで仕事化するほど命掛けてるようなユーザーを見かけると哀れに感じてします。銭の入る仕事なら、媚へつらうこともしなくては、ならないが一文も入らない、こんなネットの世界に労力費やし好きでもない奴に挨拶してまわる人生なんて人生じゃない。暇つぶしだと断言する人もいるだろう。しかし、どろどろとしてまで執着する必要が何処にあるのかな?なにか変?と懸念したとき直ぐに止めるべきだ。ぬきさしならないドツボに入ってしまうまでに取り返しのつかなくなる状態の前に少しづつでいいから遠のくべきだ。そして最後のピリオドは一機遠のきでも構わない。これからは自由に書いていく日記みたいにしたい。気分も大分変わってきた。派手な日もあれば地味な日もある。それで、いいかと思うようになってきました。今日は地味目でした。  言葉は現実化する 人生は、たった”ひと言”から動きはじめる [ 永松茂久 ]     

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