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おしゃべりしようよ

荷を背負いて行くことができない



旦那ちゃんが病気になってから、
仕事を「先取り」で進めることが多くなった私。

「明日は何が起こるかわからない」

一分一秒が惜しかった。


旦那ちゃんの「病気」を理由に、仕事の手を抜くのは嫌だった。
必死に「病気」と戦っている旦那ちゃんに失礼だと思った。
同僚たちにも申し訳ない。
私を認めてくれている人たちにも失望されたくなかった。

人より早く、
締め切りは「絶対」守り、
今まで以上に明るく元気な「私」を演じ・・・。
・・・「辛い」と言ってしまったら、崩れてしまいそうだった。




夕食は、ほぼ毎日お弁当を作って、病院の談話室で3人で食べていた。
いつの間にか、病棟で「有名な家族」になっていた。

Rottyに優しく声をかけてくれる看護婦さんたち。
お菓子をくれるおじさん。
旦那ちゃんの病状を聞いてくれるおばさん。

皆に、私たち家族のささやかな「団らん」はどう映っていたのだろう。



そして、何より
私たちが来るのを心待ちにしていた旦那ちゃん。

「必死」だった。



家事、子育て、仕事、お見舞い・・・。
24時間じゃとても足りない。
睡眠を削り、頭はいつもフル回転。
「自分のことは自分でやれ。人に迷惑をかけるな」
うるさく言われ、育てられてきた実家は頼りにくかった。
旦那ちゃんの実家には「介護」を必要としている家族がいた。



「私がやるしかない。しっかりしなくちゃ。強くならなくちゃ」



心が悲鳴を上げはじめた。
眠りたくとも眠れない。
眠ったとしても、2・3時間おきに目が覚めてしまう。
朝起き上がっても、動けない。
笑えない。
食べれない。
冷蔵庫のモーターの音でさえ、頭に響く。
座っていることも辛くなった。



今思えば、何でもっと皆の力を借りなかったのだろうと思う。
何であんなに意地になっていたのだろう。
一番、甘えてよかったのに。
一番、遅くなってもよかったのに。


3年間の闘病生活。
私は「心配のしすぎ」だった。
なんでもっと気長に考えられなかったのだろう。
そうすれば、もっと多くのいい思い出が作れたかもしれないのに。



でも、
あんなに自分は「必死」にがんばった、体も心も壊すぐらい。
「満足」という言葉は適切じゃないけれど・・・あれ以上は無理だった。
今は、そう思う。
だから、仕方なかったのかもしれない。




そんなわけで、
今でも、「追われる」「背負う」のは苦手。


「人生とは、重き荷を背負いて、遠き道を行くが如し。」
「わたしは、重き荷を背負いて、遠き道を行くのが苦手。」






2004.4.1


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