きざし昇の雑記帳

2007/11/10(土)10:10

戒名・お墓・・・気休めですか?

スピリチュアル(9)

 スピリチュアルを扱うには、霊的な存在を肯定する立場をとることになります。 まあ、いつの時代にもあることなんでしょうが、霊的存在と儀式としての供養の係わりの奇妙さを感じることがあります。 霊的な存在を信じていないのに、何で供養なんでしょうか? 霊の存在を否定するといいながら、戒名や法事、そして墓参りをなんでするのでしょう。 例えば「戒名」。 自分が死んで、私を戒名で呼ばれたとしても、誰のことかわかりませんよ。なのに、なんで戒名が必要なんでしょうかね。 一説によると、お坊さんなら仏様に帰依していたという証拠ですから、三途の川を渡るのに扱いがいいとか。。。 それで、送る側の心情として、さも立派そうな戒名を頂いて(買って)、にわか坊主・仏教徒に仕立て上げるとか。。。六文銭と同じものでしょうか。 それからお墓です。 そんなにお墓が大切なものなら、狭い日本の国土は必然的に墓だらけなっているはずなのに、そうでもないですね。 以前の職場の外に墓所がありましたが、あるとき建設重機が整地して、3日後には新しい墓所の区画ができていました。今までのはどうなったんでしょうね。 霊魂は信じていなくても、残された者の気休めだから、ある程度気休めができたら役目が終わったということでしょうかね。自分が死んだ後、忘れられるのが寂しいという心情もあるのでしょうか? でも霊魂がなければ、気休めを必要としないし、死んだ後も寂しいとは感じませんよね。 気休めなら、もう少しおしゃれに、クールにしたいものです。 私の父親が死んでだいぶ経った時、どこで吹き込まれたか、私の母親が突然墓を買うと言いだしました。何でも、日当たりのいい山の上の墓所が折り込み広告にあったそうです。聞けば、車で2時間ほどのところです。 私が 「迷惑だからやめてくれ!」 と懇願しても諦めてくれません。 「孫と一緒に気が向いたら墓参りしてくれればイイ」 と、勝手なことをいいます。 当の本人は、どうも気が向かなかったようで、墓参りをしたような記憶は私にはありません。あんな輸入された石の柱を押し付けられる孫にとっては、息子以上に迷惑以外の何物でもないと思いますよ。 本音を言ってしまえば、罰当たりだとか、不信心者だと非難ごうごうでしょう。でも、カタチだけ、気休め程度のものを押し付けられても大変迷惑なんです。 母親も普段は、「信心がない!」と誇らしげに言っています。 だったら、潔く 「散骨」にしてくれとか、「病理献体」にしてくれと言えばいいのに、ソレとコレとは話が違うようですな。病理献体なんて、見事なぐらい細切れになるそうです。さっぱりしていいですよね。  成仏という言葉あるように、迷っていない魂はどうやらフラフラと地上世界にはいないようです。 そらそうでしょ。極楽・天国・楽園というのでしょ。なんでこんな地上世界に未練があるやら。。。いずれ、後から順番で卒業してくるんですから、あちらで待っていた方がいいですね。 迷っている魂が、お墓や雰囲気の悪いお寺に溜まっています。 溜まっているんです。くすぶりです。引きこもりです。ニートです。そんな連中です。 雰囲気の悪い神社の方は、私の感覚的には動物霊が多いようです。一説によると、動物化した人霊、退化した霊魂が多く溜まっているとも・・・・アニメ隣のトトロの、雨のバス停近くにあった祠の描写は、その雰囲気がよく出ていました。点滅する電灯は、いわゆる定番です。 そういう場所でコックリさんをすれば、リアルな体験ができますよ。 ただ・・・後が怖いから興味本位でやってはいけません。 たちの悪い連中がそばに居付きますからね。  こんなことを書いていましたら、やっぱり悪寒がしてきましたので、続きは雰囲気のいい時間帯に書きます。    

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