カテゴリ:スピリチュアル
何気なしに、テレビの討論風?の番組を見ていました。 「科学で証明されていない! そういうのを迷信とか勘違いだと言うの!」 本業でパットしないタレントさんが、小ばかにしたような口調で、得意そうに言っています。 「またダ」 というのが私の反応です。
科学で証明されていないという言葉を、好意的に翻訳するなら、 「現代の科学技術では、それを証明できるレベルまで行っていませんから、今それを断定するには、科学的には検証不足です」 となるのでしょうか。
現代科学で証明できた法則性は、人がその法則性を検証できるようになる前からあるものです。 シニカル言ってしまえば、科学的発見と騒いでも、そのことにやっと気が付けたレベルです。 科学技術が進んで、100年も前の物理学者が提議した仮説を、ようやく、科学的に観察・測定・検証できるようになったものが沢山あります。理論の検証です。 科学的といわれるものは、仮説、推論、考察という人間的な思考があって構築されています。 ということは、現代科学の常識の基は、センスのいい者のひらめきから生まれたと言ってもよさそうです。
科学的常識ついては、NHK同様に色々思うところはありますが、
私が一番うんざりしている点は、 昔宗教的常識によって、多くの者達をさらしものにした「異端審問」が、現代は科学的常識という言葉で、再び「異端」のレッテルを貼りつける行為をしているように思えるからなんです。
いつの時代でも、人の認識力にレベルの差はあることでしょう。 いつの時代にも、人は自分がイメージできる範囲のことしか判断はできません。 そしていつの時代にも、自分と異なる発想をスポイルする行為はあります。
昔は宗教の教義、今は科学的常識という道具を使ってで他人を裁きます。 どちらか極端に傾かないのが、理性的選択のはずであり、人をむやみにレッテル付けする行為は、その者の品性が問われることのはずです。
他人を小ばかにする表情で、科学的常識を便利に使う人見れば、さしずめこの人は、昔の世界であったなら、宗教を使って科学的なる思考を持つ人を攻撃したんでしょう。 こんな風に勝手に想像して、独りでうんざりしています。
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Last updated
2007.12.02 23:50:40
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