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いつだって貴族

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2011年03月20日
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カテゴリ:日記
東日本大震災が起きてからちょうど10日が経った。ブログを書く暇がなかったのと、停電・買出し・水の調達等々のためこの間はただ時間が経過しただけの日々であったので、単なる日誌としてメモだけを残すことにする。「私」の時間を別にすれば、「個」と「公」の時間を少なくとも100時間を失ったことが痛い。明日からは正常化に近づけたい。

地震発生:
11日15時前、市役所4階の自分の机に座っていた時、鉄筋の建物が破壊されるのではないかという程激しく震動し、机ごと南面のガラス戸から振り落とされるのではないかという恐怖を覚える。全職員が広場に避難したが、余震が絶え間なく続く。

自邸の状況:
自邸にいた娘から携帯電話で室内はめちゃくちゃと聞いていたが、帰ってみると、冷蔵庫が20センチほどずれ、小型TVと電燈の笠が落ち、小物があちこち散乱している以外は何事もなく、壊れていたのはコップ1個だけであった。一番恐れていたPCの破損がなかったことでホッとする。孫達も無事幼稚園から帰って来た。

家人の状況
仙台のギター教室からの帰路にあった「いつだって夫人」とは当初通話不能であったが、夕方瞬間的につながり、仙台空港の最寄り駅である館腰駅近くの公民館に収容されたという連絡が入り、一安心する。そこで一晩お世話になって、翌朝どなたかの車に送られで無事帰宅する。

地震後3日間の推移:
当日は余震がひどかったので2台の車に2人づつ入って寝、翌日からは自宅で寝る。水・電気もなく電話・PCも使えず、昼間は毎日、水・食料品・ガソリンなどを求めるのに時間を取られ、暗くなったら震災関連のラジオを聴きながら寝ているだけという耐え難い生活である。想像を絶する被害のニュースがラジオを通じて入ってくる。
3日目の深夜11時過ぎに、単身で在京の義理の息子が突然来邸する。通話不能で連絡が途絶えたため、車で10時間かけて来たという。3世代6人揃って一同爆睡である。

地震後4日目~10日目
娘と孫2人は、元々来週末東京へ引越しの予定であったが、急遽4日目の14日午前、一家で東京に向けて出発する。薄い日経新聞が配達され、また郵便物も届くようになった。これは凄いことである。5日目、市役所に衛星電話が設置され親族には諸連絡ができ一段落する。昨日東京に向かった娘一家も、奇跡的にガソリンを途中で調達出来たそうで、一日掛かりで無事到着した。
当市に近隣の町のための遺体安置所が設置されたが、当市は市民の死亡、火災はゼロ、古い家屋が数十棟倒壊したのみである。当市は太平洋には結構近いのであるが、小さな山脈が要塞を形作っており、まさに天国と地獄となった。地球も人間社会も人生も偶然性に満ち満ちていることを改めて思う。
被災地の惨状、肉親を失った方々、亡くなられたご本人達のことを考えれば、言うべき言葉がない。 悲劇をもたらした自然現象に続く福島第一原発の事故は、自身にとっても日本にとっても最大の危機である。成行きが心配である。
7日目の17日には電気が復旧して電話・インターネットが使えるようになり、最終的には数十名と連絡を取り合う。TVの視聴、腰の牽引も可能となり、閉塞感が解消する。10日目の20日になってようやく水道が出るようになり安堵する。あとは、下水道の開通とガソリン入手である。

個人の災害対応:
我が家は元々非常時に備えて、煮炊き可能の石油ストーブ、水1ダース、灯油、携帯ガスこんろ、買置き食品、懐中電灯、ろうそく、携帯ラジオ等最低限の物は常備していたので、これは救いであった。慌てずに済んだことは事実である。こういった対応は全国民・全市民に是非お勧めしたい。
4日目あたりから冷蔵庫内の冷凍食品が一部溶け始めたので、普段よりも豪華な食事が連日続くことになった。知人宅も同様の状況という。皮肉なものである。

総括:
冷静に今回の東日本大震災のことを総括したい。地震や津波そのものは地球が生きている以上受け入れる以外ない。問題はリスクマネジメント、危機管理の欠如、そして自己責任の一部欠如である。
少なくとも「いつだって貴族」は、海岸沿いや海抜の低い土地に住む気は昔から持っていなかったし、東京の再開発・過密化増進などはナンセンスとして、30年も前からせせら笑ってきた。事実、首都機能移転も飲料水の各戸確保も主張してきた。

近代科学・文明へのおごり、小賢しいリスク・マネジメントが幅を利かせて来なかったか、今こそ国をあげて猛省する必要がある。個人レベルでは、飲料水・保存食品の常備、反射型石油ストーブ・携帯ガスこんろの個人保有等当然のことであるし、漁業・海産物業者は別として、安全地帯への移転・転出を促進する都市計画・市町村合併などは首長の強力指導で不可能ではない。また地方自治体では、予備職制度の創設・活用も今後は不可避であろう。

図らずも、日本人は今回異例の人生体験をしたということになるが、これは天が我々に下した「渇」であると捉えて更に精進を重ねることが、津波で犠牲になった人々の無念に応えることになる。いずれにせよ、官民あげて日本をリセットする又とない好機である。そして、そのためには全体像を図解で描くことが不可欠である。









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最終更新日  2011年03月24日 16時11分53秒
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