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テーマ:ひとりごと(15380)
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今日は日本の教科書検定に対して韓国・中国が猛烈な抗議をしています。
被害者と加害者の意識のズレが大きな原因の一つかな。 ヤンソギルさんの小説の影響でまた調べてみました。 この辺りの事件は意識に無かったです(^^ゞ 青瓦台襲撃未遂事件 1968年1月下旬、朝鮮人民軍第124部隊(現在の第8特殊軍団)に所属するゲリラ31名が、青瓦台の襲撃と朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺を狙って休戦ラインを突破。1月21日、ゲリラは目撃情報により警戒中の韓国当局に発見され、銃撃戦となるものの、一部は青瓦台から数百メートルの距離にある北漢山まで侵入。青瓦台への侵入は阻止されたが、ゲリラ側29名が死亡(自爆含む。27名という説もある)、1名(3名という説あり)が逃亡、1名が逮捕され、韓国側にも多数の死傷者が出た。逮捕されたのは金新朝(キム・シンジョ、当時27歳)で、彼の供述により北朝鮮における特殊部隊の存在が明らかになった。 朴正煕大統領は、この事件と直後の1月23日に発生したプエブロ号事件を受けて、襲撃未遂事件を北朝鮮が謝罪しない場合は報復攻撃を行うべきとの書簡をアメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領に送っていた。ジョンソン大統領はこれに対し慎重な姿勢を示したため、攻撃は行われなかったとされる。 プエブロ号事件(ぷえぶろごうじけん)は、1968年にアメリカの情報収集艦が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拿捕された事件。 1968年1月23日、北朝鮮東岸の元山(ウォンサン)沖公海上で、アメリカ海軍所属の艦船プエブロ号(USS Pueblo, AGER-2 935トン。乗員83名)は、アメリカ国家安全保障局(NSA)の秘密情報収集任務に就いていた。その際、プエブロ号は領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け、乗員1名が死亡、残る乗員82名が身柄を拘束され、北朝鮮当局の取り調べを受けた。本当に領海侵犯が行なわれたかどうかについては、現在もアメリカと北朝鮮で主張が食い違っている。アメリカは海軍を展開し、乗組員の開放を要求したが、北朝鮮は拒否。アメリカが朝鮮戦争の休戦協定を破るわけにも行かず、結局外交的決着が図られることになる。この事件でアメリカはスパイ活動を北朝鮮に謝罪し、乗員は11ヶ月の拘束ののちに解放された。しかし、プエブロ号の船体は返還されず、現在も北朝鮮の管理下に置かれて国内の大同江で一般公開され、反米宣伝に利用されている。このプエブロ号拿捕事件を受けて、日本に初めて原子力空母として寄港したエンタープライズは佐世保を出港すると南下を中止し、急遽韓国へ向かった。第2次朝鮮戦争の勃発を予感させる事件であった。 実美島事件 朴政権は事件の報復として、北朝鮮主席宮爆破と金日成の暗殺を秘密裏に計画し、専属の特殊部隊である空軍2325戦隊209派遣隊(通称684部隊)を1968年4月に創設。31名の隊員からなる部隊は、仁川(インチョン)近くの実美島(シルミド)で訓練を重ねたが、朝鮮半島情勢が変化したため、計画は撤回、部隊の存在は隠された。1971年8月23日、684部隊は反乱を起こす。隊員は大統領との直談判の為に青瓦台へ向かうが、途中で戦闘となり、ソウル市内で手榴弾で自爆したため多数が死亡、生き残りの4人も軍法会議で死刑判決を受け、1972年に死刑が執行された。 この事件は実美島事件と呼ばれ、長く隠されてきたが、後の政権で資料が明らかになり、2003年に韓国で映画化された。しかし、映画の中の脚色(684部隊の隊員は死刑囚や無期懲役囚などの犯罪者揚がりとして描かれているが、実際は異なる点など)について隊員の遺族が名誉を傷つけるものとして上映の差し止めを求めるなど、資料が明らかになった後も社会的な混乱が続いている。なお、現在映画「シルミド」のヒットにより、社会的な事件の全貌解明を求める声が高まり、韓国当局が調査に乗り出している。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 「シルミド」まだ見て無かったのですが今度借りてみます。それにしても一触即発の状況の連続なんですね。日本はそういった危機に鈍感すぎる・・・(^^ゞ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年04月06日 15時24分58秒
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