ハローベイビー☆ノルウエーの森
友人が突然亡くなりました。 不思議な感覚で葬儀に出席する。身近な人の死を体験すると、人間は生まれた瞬間から死に向かって時を刻むのだという当たり前のことを考えたりします。村上春樹の小説、ノルウエーの森で「死は生の対極じゃなくて生の一部である」というセリフがあるのですが、この言葉をなぜか葬儀中に思い出してしまった。さて、話は変わりますが、しかし分娩室で初めて息子を抱いたとき、その頬が柔らかいのに本当に驚いた。世の中にはこんなに気持ちいい感触のものがあるだろうか。お風呂や、おんぶ、おむつ交換などは、初めは馴染じめなかったのですが乳児の頬の柔らかさを確かめるたびに、この子を大事にしなければならないと、ごく自然に愛情が湧き上がってきた。目が開いて首が据わってきたころ、授乳の後に、わが子が微笑むのを初めて見た。誰が教えたわけでもないのに、この子はどうして微笑むことができるのだろうと思った。生命の神秘というものは決して大げさなものでも難しいものでもなく、乳児の微笑みの中にそのすべてがあるような気がして、からだ中に心地よいものが込み上げてきた。結局世の親というのは、乳児の頬の柔らかさに救われ、支えられ、助けられ子育てを続けるような気がする。どんなに疲れていても、仕事で大きな失敗をして神経が参っていても、寝ているわが子の頬にそっと触ると気持ちが安定した。いや、気持ちや精神が安定するというのは、自分が外部の世界にフィットしているという感じられることなど、これまでになかった。 それは理屈や論理ではなく、直接五感に響くものだ。乳児の頬の感触は、まるでオルガスムのように本当に気持ちがよい。妻と結婚したことも、この子が産まれてきたことも、そして今の自分も、決して間違っていない、そう思うことができるほど強いものなのだ。つづく…。