大和撫子日記

2007/09/21(金)15:46

国連という幻想

日本(227)

小沢一郎氏の国連信奉主義の危険性ー国連の現実をみる「2003年4月、ジュネーブでの会議で北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を審議した。決議案は日本人拉致事件の解決をもうたっていた。ところが委員会加盟の五十三カ国のうち賛成したのは半分ほどの二十八カ国にすぎなかった。中国、ロシア、ベトナム、キューバ、マレーシアなど十カ国が反対票を投じていた。インド、パキスタン、タイなど十四カ国が棄権し、韓国の代表は投票のためのボタンを押さず、欠席とみなされた。日本国民の胸を刺す自国民の過酷な拉致という非人道行為を非難することにさえ賛成しない国が多数、存在する現実は年来の日本の国連信仰とはあまりにかけ離れていた。・・・「救う会」の島田氏らは二年前に国連人権委員会の強制的失踪(しっそう)作業部会に拉致事件の窮状(きゅうじょう)を申し立てたが、拒まれた。北朝鮮がなにも対応を示さないため、という理不尽な理由からだった。同じ人権委員会はその一方で九〇年代には日本の戦争中のいわゆる「慰安婦問題」を再三にわたって取り上げ、スリランカ代表が作成した「報告書」など極端に選別的なアプローチで日本を糾弾し続けているのだ。  国連でのこの種の関係各国の政治的な駆け引きは日本側のODA(政府開発援助)依存外交をあざ笑うのかと思えるほどみごとに、日本の期待や願望を踏みにじり、裏切っている。・・・中国に関してチベットや新疆での少数民族の弾圧や気功集団「法輪功」、民主活動家の弾圧への非難の動きなど、芽のうちに摘まれてしまう。・・・ 国連では人間の基本権利の擁護という最も普遍的かつ人道的であるはずの領域でも、日本国民の大多数が描く崇高なイメージとは対照的に、加盟各国の独善の政治思惑がぎらぎらと発光する。個々の国家の利益や計算の追求が生むなまぐさい空気が公正であるはずの論議の場をおおい尽くす。」国際と名がつくものはロクなところでない。日本人は気づくべきである!

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る