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がらがらどんのおもちゃばこ

番外:小学国語・今昔物語

小学国語・今昔物語
子どもが小学生になり、自分が小学校時代学んだ教材を使っているのを知り、ついつい懐かしくなってしまいました。あの頃とは違った、また新鮮な気持ちで読んでみました。
boy1
キャンデー1年生
キャンデー2年生
キャンデー3年生
キャンデー4年生
キャンデー5年生
キャンデー6年生

1年生
ライン5
くじらぐも
なかがわ りえこ作

1年生の体育の授業中、くじらの形をした雲が学校にあそびにやってきました。こどもとくじらが声を掛け合い、子どもたちはくじらの背中に乗せてもらってしばしの間、空の散歩を楽しみます。とても爽やかな作品です。
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ずうっと、ずっと、大すきだよ
ハンス=ウィルヘルム作

エルフの ことを はなします。
エルフは せかいで いちばん すばらしい 犬です。
と「ぼく」が語りかける文章で始まります。ぼくとエルフという犬は兄弟のように育ったのです。おそらくぼくの記憶をたどっていくと、最初からエルフは一緒にいたのでしょう。ぼくの兄弟もエルフのことが大好きだったのだけど、エルフは誰のものでもなくぼくの犬だったのです。ぼくが成長するにつれ、エルフも老いていきました。ぼくはエルフに柔らかい枕をやって、「エルフ、ずうっと、大すきだよ。」と毎晩言ってやったのです。ある朝エルフは死んでいました。エルフを庭に埋めてやり、家族皆で肩を抱き合って泣いたのですが、ぼくは皆よりは気持ちが楽だったのです。毎晩「ずうっと、大すきだよ。」って言ってやってたから。
隣の子が子犬をくれると言ったけど、ぼくは断ってエルフのバスケットをあげました。
そしてこの「ぼく」の語りは「なにをかっても、まいばん、きっと いって やるんだ。ずうっと、ずっと、大すきだよ。って」と締めくくられるのです。

ペットを飼っていれば、誰でも経験する「死」というもの。ペットといっても、多くの人は家族の一員として接していると思います。出会いと別れ、悔いのないように愛情を持って生活したいですね。もちろん動物だけでなく、人間とも。幸せに生きることも大切ですが、幸せに生涯を閉じるということも大切だと思います。エルフには「大すきだよ。」という気持ちがきっと伝わっていたでしょう。「ぼく」の朴訥な語りは、多くのことを投げかけてくれます。


どうぶつの赤ちゃん
ますい みつこ文

どうぶつの赤ちゃんが、生まれたときはどのような様子か、どのように成長するのかを分かりやすく説明してあります。
まずは、ライオンの赤ちゃん。生まれたときは子猫ぐらい、自分では歩けないのでお母さんが口にくわえて移動します。2ヶ月間母乳を飲み、1年くらいすると、自分で狩りをするそうです。
しまうまの赤ちゃんは、生まれたときにはすでにヤギくらいの大きさです。体がお母さんより小さいだけで、姿・形はそっくりです。しまうまの赤ちゃんは、生まれて30分も経たないうちに、自分で立ち上がり、翌日には走ることができます。しまうまの赤ちゃんが、母乳を飲むのはたった7日ほどです。その後は母乳を飲みながら自分で草を食べるようになります。

これは、私の小学時代にもあったような気がします。動物によって、随分成長が違うことに驚いた記憶があります。動物の子ども時代は何て短いのでしょう。そして、人間とは何て手間のかかる(?)動物なのでしょう・・・。これを読んで、動物の生態や世界の自然や環境etc.多くのことに目を向けてくれるといいのですが・・・

2年生
ライン5
たんぽぽのちえ
うえむら としお文

馴染み深い”たんぽぽ”をとりあげ、草や木が不思議な知恵をはたらかせて子孫繁栄をしていることを、分かりやすく説明してある。
たんぽぽの花は咲き終わると、軸が地面に倒れてしまうが、これは栄養分を送っている。花がすっかり枯れてしまった後に白い綿毛ができて、1つ1つの綿毛には種がついている。倒れていた軸は再び起き上がり、どんどん背伸びをして風の助けを借りて遠くまで種を飛ばす。また、晴れた日には綿毛が良く飛ぶように綿毛が開き、湿気の多い日や雨の日には閉じているという知恵も持っている。

私の子ども時代にもあったものですが、とても新鮮な感動だったことを覚えています。いろいろな知恵を使って仲間を増やしている植物のことを、愛しく感じるようになったのもこの頃からかもしれません。


スイミー
レオ=レオニ作

小さな赤いけ魚の兄弟の中で、1ぴきだけ黒いスイミー。泳ぐのが誰よりも速かったので、お腹を空かせたまぐろに襲われた時も逃げ延びることができました。でも他の兄弟たちは皆食べられてしまいました。
一人ぼっちで泳ぐ深海は怖くて悲しかったけれど、今まで知らなかった美しいものや面白いものを見る度に元気を取り戻しました。そうするうちに、自分と同じ魚の群れに出会いました。大きな魚に怯えている彼らを見て、一生懸命スイミーは考えました。考えた末、皆で群れになって大きな魚のふりをすることにしました。1匹だけ黒いスイミーは大きな魚の目になって!!そうして大きな魚を追い出したのです。

これも、昔から読まれている物語で、スイミーの勇気と知恵、小さくても皆で力を合わせることで大きなこともできるのだという教訓があるようです。


スーホの白い馬
おおつか ゆうぞう作

昔、モンゴルの草原にスーホという羊飼いがいました。 ある日、彼は生まれたばかりの白い馬を拾ってきます。大切に育てたのですが、けい馬大会をきっかけに、殿様にその白い馬を取られてしまいます。 スーホは悲しみにくれました。 結局白い馬は殿様になつかず、怒りに触れ、体中矢がささったままスーホの元に帰り、息絶えてしまいます。 そして白い馬がスーホの夢に現れ、自分の体を使って楽器を作って欲しいと言うのです。 それが、”馬頭琴”の始まりだという悲しい話なのです。
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3年生
ライン5
ありの行列
大滝 哲也文

ありの行列は何故できるのでしょう。アメリカのウイルソンが研究した内容を分かりやすく解説してあります。
ありの巣から少し離れたところに、ひとつまみの砂糖をおいてみると、1匹のありがそれを見つけ、次々とありが列を作るのです。その行列は先に砂糖を見つけたありが通った道すじにぴったりとしています。しかし、その列の間に大きな石を置いてみるとありはすぐさま散り散りに・・・。
ウイルソンはありの体の仕組みを研究して、おしりから特別な液を出すことがわかりました。えさを見つけたありが、おしりから液を出して巣に戻り、仲間が列を作ってえさを運ぶのです。

前出の『たんぽぽのちえ』同様、自然とは不思議なものだと思います。これを機に図鑑などに親しんでくれるといいですね。


わたしと小鳥とすずと
金子 みすゞ詩

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやく走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

私の時代には教科書には載っていませんでした。爽やかでじーんと胸に染みるような詩です。皆の個性を認め合うって大切なことですよね。


ちいちゃんのかげおくり
あまん きみこ作

「かげおくり」って遊びをちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。・・・「かげおくり」というのは、十数える間、影法師をじっと見つめて「十」と言って空を見上げると影法師がそっくり空に映って見えることです。出征する前日の家族全員の楽しい思い出でした。お父さんが出征してから、ちいちゃんはお兄ちゃん達とかげおくりをして楽しんでいたものつかの間、空襲が始まりました。
夏の初めの夜、空襲警報が発令されちいちゃん一家は炎の中を逃げ回りました。そのうち、ちいちゃんは迷子になってしまいますが、何とか家のあった場所に戻ってきます。
朝目が覚めると、「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」というお父さんの声がふってきて、ちいちゃんの体はすうっとすきとおって、空にすいこまれていきました。

この話が、私の時代に教科書に載っていたかどうか記憶が曖昧なのですが、涙なくして読めない物語です。戦争によって平凡な少女のささいな日常の幸せが奪われたということ。今の生活がそんな多くの血と涙の後に成り立っていることを忘れてはなりません。


モチモチの木
斉藤 隆介作

臆病な豆太はいつも夜中に起きて、じさま(おじいちゃん)にせっちん(トイレ)についてきてもらっていました。大きな大きなモチモチの木が怖かったのです。モチモチの木という不思議な名前は、実った実を粉にしたものが美味しいお餅のようになるからです。そのモチモチの木には、霜月(11月)の二十日のうしみつに灯がともるというのです。とてもきれいなものなのですが、たった1人の勇気ある子どもしか見ることができないのです。ある晩、じさまの苦しそうな唸り声で目が覚めた豆太は、勇気をふりしぼってお医者様を呼びに行きます。その夜がモチモチの木に灯がともる晩だったのです。月がモチモチの木の真後ろにあって、枝の間の星が光るのでした。元気になったじさまは、「お前はモチモチの木に灯がついたのをみたんだぞ。夜道を一人で医者を呼びに行けるほど勇気があるんだぞ。自分を弱虫だと思うな。」と豆太に言うのですが・・・

豆太の成長ぶりが、可愛らしく微笑ましいです。モチモチの木に灯がともる光景は素晴らしいものでしょう。神秘的な空気が漂います。全編で使われている方言がとても温かな雰囲気を醸しだしています。


太郎こおろぎ
今西 祐行作

運動場は道を広くしただけのようで、「しょうじ学校の道運動。」と隣町の小学生がひやかしていました。そんなさびしい山奥の小学校での「わたし」の思い出話です。同じクラスには「太郎」といういたずらっこがいました。彼はガキ大将的な要素もある反面、とてもやさしい男の子でした。ある日、太郎の隣の席の「しのちゃん」がブラシつきの消しゴムを持ってきたのだけれど、太郎の手が滑って、床の穴に落ちてしまいました。しのちゃんは泣きそうになって、太郎は「おれがいま、とってきてやる。」と床下へ取りに行ったのです。授業が始まっても太郎は戻ってこず、しのちゃんは困ってしまいました。そんな時先生に「何をしている。」と注意をされ思わず「こおろぎが、ないているんです。」と言ってしまいます。すると太郎が床下から「リリ、リリ、リリ・・・。」と鳴きまねをしたのです。だれかが「太郎こおろぎだっ。」と言い生徒も先生も笑い出してしまいました。
その後、太郎は村長になって、コンクリートの校舎を建てたということです。

この話は、現在の教科書には載っていないようですが、印象に残っているものの1つです。木造校舎で学ぶ子どもたちのほのぼのとした様子、ほっと心が温かくなる物語です。今読んでみると、こんなに短い物語だったのかと驚いています。というのは、太郎やしのちゃん、学校や運動場、いろいろなことが私の頭の中でイメージとして出来上がっているのです。短編だけれども、とても子どもの想像力をかきたてる作品だったのだと思います。


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4年生
ライン5
春のうた
草野 心平詩

ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな。

みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。

ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。

ケルルン クック。
ケルルン クック。

冬眠から覚めたかえるの、春の喜びの詩です。「ケルルン クック」が印象的です。


白いぼうし
あまん きみこ作

「これは、レモンのにおいですか。」とお客さんに話しかけられたタクシーの運転手の松井さん。いつものように仕事をしていると、車道のすぐそばに帽子が落ちていることに気づきます。車にひかれては大変、と思ってぼうしを避難させようとします。ぼうしをつまみあげたとたん飛び出したのはちょうちょ。ちょうちょを見つけた子どもが逃げないように帽子を置いたのです。子どもががっかりしては可哀相、と思い松井さんは帽子の上に持っていた夏みかんを置いて、車に戻りました。するとそこにはかわいらしいお客さんが乗っていました・・・・

これは『車のいろは空のいろ』という本の中の1話で、その中でも『白いぼうし』は清々しくやさしい物語です。子どもの頃に読んだのと、大人になって読むのとはまた違った面白さが味わえます。大人が読んでも楽しいファンタジーですね。
関連日記はこちらこちら

一つの花
今西 祐行作

「一つだけちょうだい。」
これが、ゆみ子のはっきり覚えた最初の言葉でした。と始まるこの物語は、戦時中、物資の乏しい時、お腹を空かせていたゆみ子がいくらでも欲しがるので、「一つだけよ。」とお母さんがいつも言っていたので、口癖になってしまったのです。お父さんが出征するときも「一つだけちょうだい。」と言っておにぎりを食べてしまいました。貴重なお米で作ったおにぎりだったのですが、お母さんもお父さんもゆみ子の涙を見たくなかったのでしょう。けれども、おにぎりはなくなってしまったというのに、「一つだけちょうだい。」とゆみ子はまだお腹がすいているようで、ついにゆみ子は泣き出してしまったのです。するとぷいっといなくなったお父さんがコスモスの花を一輪ゆみ子に渡し「一つだけあげよう。」というのです。ゆみ子は機嫌を直し、笑顔でお父さんと別れたのでした。
十年後、ゆみ子は成長し、家はたくさんのコスモスの花で包まれました。お父さんの姿はありません。



ごんぎつね
新美 南吉作

昔、山の中に「ごんぎつね」というちょっぴりいたずらなきつねがいました。ある時、川の中でうなぎをとっている兵十を見て、兵十のいない隙にうなぎを逃がしてしまうのです。しかし、後になって、兵十が病の母に食べさせるためにうなぎをとっていたのだと知り、償いをしようと思ったのでした。よかれと思ったことも上手くはいきませんでしたが、毎日くりを兵十に届けたのでした。ある日兵十は、自分の家に入っていくごんぎつねを見て、いたずらをしに来たと勘違いをし、銃でごんぎつねを撃ってしまいました。撃ってしまった後に、毎日くりを届けてくれていたのが、ごんぎつねだったと初めて気づいたのです。



5年生
ライン5
プラム・クリークの土手で
ローラ=インガルス=ワイルダー作/恩地 三保子訳

『大草原の小さな家』というドラマがNHK教育で放送されていましたが、それの原作の一部で、アメリカの西部開拓時代のインガルス一家の物語です。”プラム・クリーク”というのは、小川の土手に作られた横穴の家のことです。ある日、主人公のローラは激しい雨が降った後のプラム・クリークへ、お母さんに黙って行ってしまいました。そこで遭遇した、大自然の猛威!

これは、昔の教科書には載っていませんでした。私も原作本を何冊か読んだはずなのですが、何しろ昔のことで記憶が曖昧になっています。これを機にもう一度読んでみたいと思いました。


宇宙をみたよ
毛利 衛監修/松田 素子文

1992年9月12日、午前10時23分、アメリカ合衆国のケネディ宇宙センターから、日本人として初めてスペースシャトルの乗組員として、宇宙に行った、毛利衛さんのお話です。スペースシャトルが上昇していく時の様子、宇宙で行った実験の数々をワクワクするような内容で書かれている。宇宙から見た地球などの写真も興味深い。

私の時には当然無かった内容のものです。同じ日本人である毛利さんの体験を、こういう形で知って子どもたちの興味や可能性が広がれば素晴らしいと思います。


わらぐつの中の神様
杉 みき子作

雪国に暮らしているマサエ。明日、学校の授業でスキーがあるのにスキー靴が乾きません。そんな時におばあちゃんが「かわかんかったら、わらぐつはいていきない(いきなさい)。わらぐつはいいど、あったかくて。・・・・そうそう、それに、わらぐつの中には神様がいなさるでね。」と話始めたのです。昔、おみつさんという働き者のむすめさんが住んでいました。ある時、下駄屋さんに飾ってあった雪下駄が欲しくなって、自分でお金を貯めて買おうと思い、わらぐつを編んで売ることを思いついたのです。初めて編んだわらぐつは、格好は悪かったものの履きやすいように、心を込めて編みました。わらぐつを見て笑ったり、悪口を言ったりする人もいましたが、ある若い男の人が買ってくれたのです。おみつさんは嬉しくて嬉しくて、それから毎日作りました。すると何故か初日に買ってくれた男性が毎日買いに来てくれるのです。おみつは自分の作ったわらぐつがすぐに傷むのではないのかと、心配して聞いてみたところ、「じょうぶでいいわらぐつだから、仕事仲間や近所の人に買ってあげたんだよ。・・・・いい仕事っていうのは、見かけで決まるもんじゃない。使う人の身になって、使いやすく、丈夫で長持ちするように作るのが、ほんとうのいい仕事ってもんだ。」と彼は言ったのです。そして「なあ、おれのうちへ来てくんないか。そして、いつまでもうちにいて、おれにわらぐつを作ってくんないかな。」とプロポーズをしたのです!彼は大工さんだったのですが、「使う人の身になって、心を込めて作ったものには、神様が入っているのと同じことだ。これを作った人も、神様とおんなじだ。おまんがきてくれたら、神様みたいに大事にするつもりだよ。」と言ったそうです。それは何と、マサエのおじいちゃんとおばあちゃんのラブストーリーだったのです!

雪国の心温まるお話です。随所に方言が使われていて、登場人物の優しい人柄を感じさせてくれます。使う人の身になって作ること、ハッと我が身を振り返ります。昔の男女の出会いの物語、素敵だなあと思いました。


大造じいさんとガン
椋 鳩十作





月夜のみみずく
ジェイン=ヨーレン作/工藤 直子訳






6年生
ライン5
やまなし
宮沢 賢治作

小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。で始まるこの物語、1話目は5月の話です。”クランボン”とは一体何なのでしょう?
「クランボンは 笑ったよ。」
「クランボンは かぷかぷ笑ったよ。」とかにの子どもたちが川底で話をしています。”クランボン”の正体は明らかにされないまま、1話目は終わってしまいます。2話目は12月の話です。5月から成長したかにの子どもたちは、大きな泡をはく競争をしています。そこへやまなしが流れてきました。お父さんは「もう二日ばかり待つとね、こいつは下へしずんでくる。それから、ひとりでにおいしいお酒ができるから。さあ、もう帰ってねよう。おいで。」という場面で終わります。

1話目は初夏の昼間、2話目は冬の夜。川の中や空の表現が、とても幻想的で素敵です。私の子ども時代にもあった教材ですが、”クランボン”は何なんだろうということが、議論の対象になったような記憶があります。


きいちゃん
山元 加津子作

教室でいつもさびしそうにうつむいているきいちゃんが、「せんせい。」と大きな声で飛び込んできました。お姉さんが結婚することになって、結婚式に出る喜びを先生に伝えに来たのです。それから1週間後、きいちゃんが教室で泣いていたのです。「お母さんが、結婚式に出ないでほしい。わたしなんて、生まれてこなければよかったのに。」きいちゃんは、小さい時に高熱を出し、後遺症のために手や足が思うように動かなくなったのでした。この先生は「結婚式のお祝いのプレゼントを作ろうよ。」と彼女を励まして、浴衣を作ることにしました。真っ白な布を買って、染めることから始め、手足が不自由なきいちゃんは一所懸命縫ったのです。無事に結婚式の10日前に、お姉さんに浴衣を送ることができました。そんな時、きいちゃんも先生も結婚式に出て欲しいと言われたのです。結婚式が始まってきいちゃんの方を見て、ひそひそ話をする人もいました。しかし、お姉さんがきいちゃんの縫った浴衣でお色直しをし、きいちゃんと先生のことを皆の前で紹介してくれたのです。素晴らしい姉妹愛。きいちゃんは、その後和裁の道へ進んだのでした。

この物語は初めて読みましたが、きいちゃんがお姉さんのために浴衣を縫う姿は感動的です。先生やお姉さんの温かい励ましも涙しそうです。それまで、自分に自信がなかったきいちゃんの門出でもありました。病気や事故で障害を持つことは、誰しも可能性のあることです。何かをバネにして、たくましく生きていきたいと思える物語です。




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